ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL覚の分析から容易に理解されよう。要するに、わたしたちの視点が凝固した不動の一点ではなく、身体的パースペクティヴによって拘束され、時間意識において移りゆくものであるがゆえに、目の前の知覚の風景は汲みつくしえない豊かさをもって飽かず繰りひろげられるのである。さて、このように内的時間意識やキネステーゼの問題と連関して、後期フッサールは、(やや矛盾した言いまわしをふくんでいるが)「受動的綜合」つまり「構成における受動性」の契機に注目するようになる。中期の『イデーンⅠ』においては、「あらゆる作用は、いかなる種類のものであれ、いわば創造的な開始という自発性の様態において始まりうるのであり、その際純粋自我が、自発性の主体として出現する」(『イデーンⅠ』§122)というように語られていたが、後期になると、自我による能動的な措定作用に先立って、その成立基盤に、受動性の地平が存続しているといわれるようになる。たとえば自発性に基づく範疇的綜合に対して、それに先行する受動的綜合としての「感性的綜合」という語が登場する(『イデーンⅡ』§9)。そして『受動的綜合の分析』においては、述定的判断以前に作働している、前述定的・前反省的綜合としての受動性に関心が向けられ、そこから生活世界の問題圏へも展開していくことになる。つまり意識的自我の能動性に先立つ背景知の地平が、それ以上さかのぼりえない原ドクサとして明らかにされるわけであるが、この点は次節で触れたい。いずれにせよ、これまで知覚の問題に限定し、そのなかでもとりわけ射映の構造について注目してきたのは、前述定的であれ述定的であれ、綜合作用によってわたしたちのまえに世界が意味的・理念的構成物としてたち現れるためには、感性的直観の契機を欠くことができないことを確認するためであった。理論が「現実」との接触を欠いた表象の閉じた体系に化することを避けるためには、知覚の場における意味作用の充実が必要である。しかしこのように本論で、「現実」にじかに触れることとしての知覚をとりあげたのは、一切の認識の最終的なよりどころを感性的直観の直接性のうちに見いだし認識をそこに基礎づけようとする直観主義を擁護するためではない。ここでの関心は、基本的に、哲学的言説の基礎づけや正当化の議論とは別のところにある。意味の充実とは、知覚におけるそのつどの一回的出来事にほかならず、その多様な射映はいわばクオリアとしての性格を保持しつづける。このようなアイステーシスの、けっして一般化しえない基本性格の正体を見さだめることだけが最終的にはここでの課題なのである。2.生活世界さて、知覚において、個別的な、そのつどの射映は、ノエマ的な意味へと収斂せしめられるが、そのようにして意味的に構成された対象はつねに、開かれた経験の地平においてあたえられる。たとえば部屋のなかにいて閉ざされた扉を見ている場合、その背後の廊下はいまここの知覚において透視することはできないとしても、背景知として、あるいは非顕在性において、あたえられている。個々の具体的対象を主題化し、同一的な意味を能動的に構成する顕在的自我作用としての知覚に先立って、それを取りまくように時間的にも空間的にも「受動的ドクサ」の領域が「地平」としてひろがっているのである。ここでいう地平(Horizont)とは、存在するものがひとつの図として見えうるようになるための地であり、視覚にのみ限定した表現でいえば「視界」であり「視圏」である。このように地平は、対象が対象としてたち現れることを可能にする先行条件として、背景的に開かれたものであると同時に、そのつど構造化され分節化されている。フッサールは「内部地平」と「外部地平」という二つの構造契機をあげている。内部地平とは、ある対象内部の諸契機において、いまだ規定されず充実もされていない存在意味の潜在性のことであり、他方外部地平とは、当の対象とともに、いっしょに存在している他の諸対象との(いまだ充実されていない)意味連関である。そしてこのような内部地平・外部地平の全体が、フッサールにおいて「世界」と呼ばれるのである。(『受動的綜合の分析』序論参照)このことを日常のありふれた事例において見てみよう。何らかの物はわたしたちの知覚のなかで、さまざまな感覚の多様性において、固有の性質をおびてあたえられる。たとえば、立秋の一日であれば、日中のわずかに湿気をふくんだ重い空気の層が、夕暮れとともにすこしずつ沈殿し、わたしたちの皮膚に、冷ややかな風の動きを感じさせるだろう。あるいは夕暮れとともに、かすかな虫の声も聞こえはじ10