ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
WASEDA RILAS JOURNAL含めて、ライトノベルが、生産から消費まで、キャラクターを中心的な要素にしていることを物語っている。ライトノベルがマンガとゲームを重要な起源としていることを考えれば、それは当然とも言える。表紙やイラストにマンガが多用されることをみても、マンガがライトノベルの来源の一つであることは分かる。もう一つの重要な来源は、1980年代に流行したテーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム(table-talk role playing game、略称TRPG)である。一人のゲームマスターが物語の骨格を考え、他のプレイヤーはそれぞれ勇士、魔法使い、僧侶などそれぞれのキャラクターを演じて、一緒に一つの物語を完成させるゲームのことである。(戦闘の勝敗などはサイコロで決める)こうしたゲームを、コンピュータに移植すれば、コンピュータのRPG(ロール・プレイング・ゲーム)に、小説にすればライトノベルになることは、一目瞭然だろう。例えば、ライトノベル初期のヒット作『ロードス島戦記』(水野良、角川スニーカー文庫、1988年~)は、TRPGの過程を再現し、小説化したものであることを明言している。当時はゲームの経過を再現したリプレイ本もたくさん出版された。こうした例を見ると、プレイヤーが勇士や魔法使いなどのキャラクターを演じたり、操作したりするコンピュータゲームで、キャラクターが重視されるのは当然だと言えるだろう。キャラクターが重要なのは、やおい小説、BL(ボーイズラブ)も変わらない。こうした美男子の同性愛を描いた作品の淵源は、おそらく1970年代に現れた少女マンガだろう。それ以前の少女マンガが、かわいいだけの単純な物語が多かったのに比べて、竹宮恵子の「サンルームにて」(『別冊少女コミック』、1970年12月号、原題「雪と星と天使と……」)などの、美少年どうしの性愛を描いた作品は衝撃的だったに違いない。思春期の読者に性愛を含む恋愛についての思索を提供し、少女マンガは飛躍的に作品の深みを増した。また、男子の同性愛であるがゆえに、女子の読者にとっては、100パーセント想像の世界であることも大きいだろう。生々しい現実とは切れた想像の世界で、恋愛や性愛の夢をめぐらし、思いをはせることができるのだ。中でも、19世紀末のヨーロッパの寄宿舎を舞台に描いた『風と木の詩』(竹宮恵子、小学館フラワーコミックス、1976年)は、異国の歴史や世紀末文化への興味もあって、大ヒット作となった。そうしたマンガの流行を背景に、1980年代初頭に少女雑誌『JUNE』(後に『小説JUNE』、サン出版)が登場する?。この雑誌で、人気作家栗本薫が、やおい小説の投稿を添削する“小説道場”というコーナーの連載を始める。優れた作品が雑誌に掲載されたこともあって、当時の読者に大いに喜ばれたという。同誌は、フランスで新たに女性作家が書いた美少年同性愛の小説が発見されたとして、翻訳と作者略伝、解説を掲載する企画も掲載したが、実はすべて栗本薫の自作だったという、手の込んだ宣伝までしている。そうした努力にコミックマーケットの発展も相まって、やおい小説は着実にファンを増やし、書き手も育っていった。今ではむしろキャラクターが中心的な要素になり、作品の美少年キャラを鑑賞することや、他ジャンルの作品のお気に入りのキャラを借用して、新たにやおい小説を書く二次創作などが、ふつうに行われている。ケータイ小説は少し事情が異なっている。キャラクターよりも、むしろストーリーのパターン(類型)や、そのパターンを構成する要素(モチーフ)に読者は感応しているようだ。ケータイ小説の来源として、ギャル雑誌『popteen』(富士見書房、1980年~、1994年より角川春樹事務所)などの読者投稿欄を挙げる声がある。女子中高生が、レイプや妊娠、いじめなどの体験を赤裸々に綴るコーナーである。当時の編集者によれば、ほとんどは作り話だろうという。座談会「ケータイ小説は「作家」を殺すか」(『文学界』2008年1月号)の出席者は次のように語っている。鈴木謙介「僕もかなり没入して読みましたね。たぶん嘘というか、事実ではないと頭ではわかっていても読んでしまいました」。中村航「初めて読むときって、なぜか凄く引き込まれるんです。高校生ぐらいまでは読んでたなぁ」。読者も作り話だと分かっていたはずだが、それでも投稿は本当にあった体験として読まれた、というのである。ある種のゲーム感覚で書かれ、読まれていたと言ってよいかもしれない。そして、読者はそれに共感した。こうしたパターン化した告白を小説156