ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL NO. 1 (2013. 10)横光利一と川端康成の関東大震災横光利一と川端康成の関東大震災被災した作家の体験と創作十重田裕一The Great Kant? Earthquake in the Lives and WritingsRiichi Yokomitsu and Yasunari KawabataHirokazu TOEDA1.はじめに1923年9月1日午前11時58分、南関東を突如襲った関東大震災に文学者たちはどこでどのように遭遇したのだろうか。被災時の場所によって体験は異なり、受けとめ方も千差万別であるが、大震災後に新感覚派の文学者として活躍することになる横光利一(1898~1947年)と川端康成(1899年~1972年)はともに被災者であり、その体験はその後の創作に少なからぬ影響を与えることになる。横光は、「文学の神様」と称された昭和時代前期の代表的な文学者で、その親友の川端は、1968年にノーベル文学賞を日本で最初に受賞したことで世界的にも知られる。新感覚派が関東大震災後の文学として日本の近代文学史に記述される一方で、横光や川端がどのように被災し、大震災についていかに語り続けていたかはあまり知られていない。横光と川端が大震災について書き残した、あるいは語った言葉をたどりながら、被災した両者の体験と創作がどのようにかかわるのかを考えてみたい。なお、本稿は、「第4回東アジア人文学フォーラム『危機と再生──グローバリズム・災害・伝統文化──』」(早稲田大学小野記念講堂、2012年12月8・9日)の予稿集に掲載の文章に、若干の加筆・修正を加えたものである。2.横光と川端の大震災体験関東大震災は、横光の文学に決定的な影響を与えた大事件であった。横光は神田の東京堂書店の店先で雑誌を立ち読みしていたときに被災している。大震災に遭遇し「青年期に死に直面して、もう駄目だと思つたこと」が、自身の「文学の根本」をかたちづくったと、横光は後年になって、「転換期の文学」と題された講演で述べ、大震災発生時の様子を次のように生々しく語っている。震災の時、私は丁度東京堂の店先きに立つて、雑誌の立読みをしてゐた。(中略)狭い道路で家が建て込んで居て、その家がバタと倒れて行く。それと同時に壁土やなんかがもうと上つて、其の辺は真黒になる。だが上から何が落こつて来るか解らないので、眼を閉ぢる訳にいかない。眼を開いてゐると土ほこりが入つて痛いが、我慢してゐる。其処らに居た人は互ひに獅?附いて固つてゐる。私はその時これが地震だとは思はなかつた。これは天地が裂けたと思つた。絶対にこれは駄目だ、地球が破滅したと思つた。(1939年6月21日、東京帝国大学)????横光は東京堂書店での被災直後、火事になった神田から逃げるために駿河台方面に出て、下宿のある小石川に向かうことになる。横光の住まいの被災状況については、友人の川端康成の証言がある。「私が見にゆくと、古びて粗末な下宿は、一階が傾き、二階は真直ぐに立つてゐた」が、再度見に行くと倒壊し、どのあたりにあったかもわからなくなっていたと、川端は証言している(「思ひ出二三」『日本文171