ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
- ページ
- 176/230
このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている176ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている176ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
WASEDA RILAS JOURNALていこうとする震災以前の過去の浅草についても書き込んでいる。大震災以前と以後の浅草の対比は、「浅草紅団」の語り手が読者を昭和の浅草へと誘う冒頭近くの、次の引用からも明らかとなる。「私も諸君の前に──大正地震の後の区画整理で、新しく書き変へられた「昭和の地図」を拡げよう」(第1章)。たとえば、ビルの屋上から浅草の街や隅田川周辺の工事中の建造物を俯瞰のロング・ショットでとらえることで、急速に復興を遂げていく今の浅草の様子が映し出される。その一方で、大震災のために塔が折れ撤去された、浅草の「十二階」として親しまれた凌雲閣への言及からは昔の浅草の記憶が甦る。あるいは、川端自身の体験を踏まえて、「浅草紅団」の語り手の「私」が語る、以下の第20章の引用からもうかがえる。古い浅草の目じるし──十二階の塔は、大正十二年の地震で首が折れた。私はその頃まだ本郷に下宿住ひの学生だつた。昔から浅草好きの私は、十一時五十八分から二時間と経たぬうちに、友だちと二人で、浅草の様子を見に行つた。こうした大震災と帝都復興に加えて、1929年10月のニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した世界大恐慌も、「浅草紅団」を読むうえで、逸することのできない重要な視点となる。「浅草紅団」は世界大不況の波が押し寄せてくるなかで構想され、不況が深刻化する状況下で連載が開始されていた。復興を遂げていく都市を、震災との関連を明示的にせず抽象的に表現しようとした横光とは対照的に、川端は、大震災後の都市や社会の変容を具体的に小説に書き込んでいた。ただし、関東大震災から復興を遂げていく東京を描いてはいても、1930年3月に執り行われた、復興事業の完成として位置づけられる帝都復興祭については書き込まれることはなかったのである。6.世界大戦に匹敵する衝撃被災した横光は、関東大震災のことを忘却することなく、後年になってもその暴力と恐怖をたびたび想起していたことは、彼のエッセイや講演から明らかとなる。横光が大震災の記憶に深く心に刻み込んでいたことがうかがえる文章の一つに、震災から約10年を経て書かれた「雑感──異変・文学と生命」(『読売新聞』1934年1月4日)がある。横光はここで、大震災が「世界の大戦と匹敵したほどの大きな影響」を日本人に与えた、未曾有の大災害であったと記している。関東大震災が第一次世界大戦に比肩する影響力を日本に与えたとするこの印象は、決して大げさなものではなかった。ベルリンオリンピックの特派員としてヨーロッパに渡航した際、1936年7月9日にパリにおいても、横光は、大地震と戦争を関連づけて講演をしている。「我等と日本」のなかで、「この恐るべき、地上の恐怖の中で、何ものよりも暴力を用ひる地震の災厄」が「戦争以上の文化の破壊」をもたらすと、横光は語っていた(『考へる葦』創元社、1939年)。また、欧州から帰国後発表の小説「厨房日記」(『改造』第19巻1号、1937年1月)のなかでも、関東大震災とは明示していないが、「地震が何より国家の外敵だ」「一回の大地震でそれまで営営と築いて来た文化は一朝にして潰れてしまふ」などと、歴史的に繰り返されてきた大地震について登場人物に語らせていた。さらに、「地が揺れる」(『東京日日新聞』1938年8月7日)では、「その土地が揺れ動くといふ国と、絶対に不動であるといふ国」の認識や考えの相違について言及していたのである。パリでの講演から5年後に刊行された、『三代名作全集──横光利一集』(河出書房、1941年)に収録の自作解説「解説に代へて(一)」で、横光は、関東大震災と自身の創作とを関連づけながら次のように書いている。……大正十二年の大震災が私に襲つて来た。そして、私の信じた美に対する信仰は、この不幸のため忽ちにして破壊された。新感覚派と人人の私に名づけた時期がこの時から始つた。眼にする大都会が茫茫とした信ずべからざる焼野原となつて周囲に擴つてゐる中を、自動車といふ速力の変化物が初めて世の中にうろうろとし始め、直ちにラヂオといふ声音の奇形物が顕れ、飛行機といふ鳥類の模型が実用物として空中を飛び始めた。これらはすべて震災直後わが国に初めて生じた近代科学の具象物である。焼野原にかかる近代科学の先端が陸続と形となつて顕れた青年期の人間の感覚は、何らかの意味で変174