ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
横光利一と川端康成の関東大震災らざるを得ない。この文章は、大震災から18年後に発表されたものであるが、未曾有の災害がもたらした、「美に対する信仰」の崩壊と「人間の感覚」の変容を近代科学と関連づけながら具体的に解説していて興味深い。大震災によって灰燼となった「大都会」に出現した「近代科学の具象物」が、「青年期の人間の感覚」を変容させたことを指摘する横光自身はこのとき25歳であり、「感覚」の変容を体験した「青年」のひとりであった。「近代科学の具象物」としてここにあげられている「ラヂオ」は震災後に出現したニュー・メディアである。ラジオ放送が日本で開始されたのは、大震災から1年半後の1925年3月であった。「自動車」「飛行機」は必ずしも震災後に現れたものではないが、横光には大震災後に目に見えて普及していたように感じられたのであろう。て「心に受けた恐怖」について繰り返し語り、その意味を問い続けていたことである。【附記】本稿は、『早稲田文学記録増刊震災とフィクションの“距離”』(2012年3月)掲載の拙稿「被災した作家の体験と創作──新感覚派の大震災」に基づき、本フォーラムのために、加筆・修正をしたものです。7.おわりに関東大震災によってそれまでの東京の市街が瓦解し、新しい都市が形成され、そこに出現してくる「近代科学の具象物」が、この時代を生きる「人間の感覚」を変容させる。大震災後に変容した「人間の感覚」を表現するためには、それまでとは異なる小説の言葉が必要と、横光は考えたのであった。体験のありようは横光とは同じではないが、川端もまた、震災後の東京を表現しようとしていたことは既に述べた。関東大震災を契機に、横光と川端は復興する都市とそこに現れた様々な物象を題材としながら小説を書くことになる。大震災による感覚の変容、それが新感覚派文学の発生と深い結びつきをもつのである。被災した横光の「心に受けた恐怖」は癒えたわけではなく、大震災発生時の衝撃は記憶に深く刻み込まれ、たびたび脳裏に甦ったに違いない。大震災との遭遇が存在を揺るがす体験として記憶されたにしても、横光は、常にそのことを考えながら日々生活していたわけでも、創作をしていたわけでもない。大震災の衝撃が常に継続的に意識されたというよりは、存在を揺るがす体験の記憶が持続的に明滅し、脳裏に焼きつけられた震災の記憶が時を隔てて鮮烈に甦ってきたように見える。横光の関東大震災についての発言をたどってきて気づくことは、10年以上の時間を経てもなお、この未曾有の大災害によっ175