ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
WASEDA RILAS JOURNAL(34)193裁で格付けしたものであり、中央の「勧進元」に「仮名手本忠臣蔵」が、東西大関に「菅原伝授手習鑑」「妹背山婦女庭訓」があることからも、外題の知名度・人気を示したものとみて間違いはない。その他の演目も、2・4・6・30?36を除き番付に掲載されており、また25・27以外は、中央の柱部分か東西一・二段目という重要な位置につけられている。地芝居の演目にこのような傾向が見られる背景には、興行・遊芸・書物出版における浄瑠璃文化の広がりがあった。義太夫狂言は、人形浄瑠璃の隆盛を背景に、享保?宝暦期にかけて江戸・上方で上演され)63(、その後は文政末?天保年間にかけて、大坂で頻繁に上演されていた)64(。また、浄瑠璃は素人の遊芸としても受容され)65(、稽古本も多数出版された。上演された地域に着目すると、江戸の上演が最も多い演目は、7・9・11・24のみとなっている。その他の演目については、2・27・33を除き、大坂の上演が最も多い。また、数は少ないながらも、2・27・32・33のように、東海地方で比較的多く上演されたものもある。【表】№2「伊達姿萩燕都裾」は、上演自体が少なく、興行地にも偏りがある特徴的な演目である。この演目は伊達騒動物の一つであり、天明四年(一七八四)大坂角の芝居で初演となっている。番付で確認できる、近世を通した上演回数は、わずか十二回である)66(。興行地の内訳は、大坂五回、京一回、名古屋六回となっており、興行地別では名古屋が大坂・京を上回る。大坂と名古屋の、興行地としての規模の差を考慮すると、名古屋の上演が大坂を上回っていることは特筆すべきことである。三都における興行回数が少ない中、弘化元年(一八四四)の名古屋で、五月に大須芝居、十月に若宮芝居と二度の興行が成立しており、地域による受容状況の差があったとみることができるだろう。文化七年(一八一〇)の戯作『狂言田舎操』は、人形浄瑠璃の地方興行を芸能者の視点から描いたものであるが)67(、ここでは、地域による忠臣蔵物の上演状況の差異に言及されている。登場人物の会話から、浄瑠璃「伊呂波蔵三組盃」は「田舎で立るやつ」であり、「田舎あるきせん者は丸ではしらん」演目のため、字が読めない太夫は損であると述べられている。このことは「伊呂波蔵三組盃」が三都ではなく、地方興行において頻繁に上演され、受容された演目であることを示している。「伊達姿萩恋都裾」もこうした演目の一つと考えられ、名古屋の観客の嗜好の上に複数の興行が成立したといえる。そしてその演目は、名古屋周辺の在方である霧山村においても受容され、地芝居として上演された。それでは、地芝居の担い手である人々は、自分の地域の歌舞伎文化に対してどのような認識をもっていたのだろうか。この点については、足助町小出家文書のうち、「菫野」から「弓月様(注:小出権三郎)」への書状)68(から伺うことができる。この書状は、祭礼地芝居の桟敷席の予約に関するものである。「菫野」によると、この年は芝居の人気が高く、祭礼前の上演である「ないしよふ」の桟敷席は、相場より高値であったのにも関わらず、全て落札された。また、当年の芝居は本当に評判がよく(「誠ニ当年ハあしなひよふりニて」)、「衣裳揃」の際の桟敷席は残らず売れた。さらに「菫野」はこの様子を「誠ニ名古や大芝居同様ニて」と評し、地芝居の盛況から名古屋の大芝居を想起している。この部分から分かるのは、名古屋の興行のイメージが、「菫野」と「弓月」の間で共有され、地域文化の規範となるものとして位置づけられているということである。以上のように、足助村とその周辺村の地芝居においては、東海地方の地域性を反映した演目が上演されたが、その背景には、名古屋の歌舞伎文化を規範とする認識が存在していた。近隣都市の影響を受けて展開する地芝居は、単なる都市文化のコピーではない。【表】№30「仮名手本伊呂波陣立」は、都市の歌舞伎・浄瑠璃には見られない演目だが、内容は「仮名手本忠臣蔵」の四段目とほぼ同じである。奥書に「天保十一年丑九月日霧山村若連共」と書かれ、鈴木菊二郎という人物が作成したことが記されている。地芝居上演の中心となる若者組によって作成されたものであろう。歌舞伎台帳・浄瑠璃本と比較すると)69(、詞章や物語の展開の上では、浄瑠璃本と共通する部分が多く、これをベースに作られたものと考えられる。しかしながら、この台帳と刊行された浄瑠璃本の間には、台詞の変更や付け加え、登場人物の省略などの差異が見られる。例えば、浄瑠璃本に登場する斧定九郎は、地芝居台帳においては省略され、台詞も編