ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
近世の東海地方における地域文化の形成(31)196る。また、息子恒助)39(については、津島の伴伊兵衛の娘との間に縁談が持ち上がっていた。津島伴家は、地主として田畑や新田、借家など多くの土地を所持し、地域金融も担う地域の有力者であった)40(。恒助が縁談に不承知のため、この縁談は成立していないが、次の候補として「津島井沢氏」の娘を挙げ、また名古屋でも探しているという旨が記されている。このように、小出家の婚姻関係は、生業のネットワークと関係しつつ、尾張・岡崎など比較的遠方地域との関係を構築していた。以上、小出家の生活・生業における交流の範囲を見てきた。日常生活においては、足助村やその周辺を中心に、生業・婚姻においては比較的遠方の名古屋・岡崎といった都市、矢作川流域の人々との関係が見られた。このような生活における地域間の結びつきが、歌舞伎・浄瑠璃といった芸能の受容においてどのように機能していくのか、次節以下で検討したい。(2)芝居情報の入手本節では書状を分析し、小出家にもたらされる歌舞伎の情報について考察する。小出家文書の中の芝居関係の書状は差出人によって二つに分類できる。一つは役者や興行関係者からの案内状・招待状であり、もう一つは第三者がらの書状である。名古屋の役者尾上菊三郎から「小出御旦那様」へ宛てた書状は、この度「菊二郎」に弟子入りした「大吉事尾上菊三郎」が、清寿院芝居で興行中のため「御ひいき之程」を願うというものである)41(。興行の詳細は不明だが、小出家に芝居見物を願うものである。興行主催者からの書状は二通ある。岡崎の「三拾人組御用聞中」による子供芝居の招待状には、子供芝居の演目・出演者が記されている)42(。この招待状には「金子の礼ニ」「酒肴貰凡代弐分計」と書かれており、興行にあたり小出家が寄付をしていたことがうかがえる。もう一通は、挙母の真田善八郎からの市芝居の案内である)43(。これは木版刷りの興行チラシであり、差出人の真田善八郎は勧進元である。ここには、市芝居が「四月八日晴天十日之間」の興行であることが記されている。このように、興行関係者からの書状は、興行の場所、日時など、芝居の情報のみを直接伝えるものとなっている。一方、第三者からの芝居の情報の多くは雑多な情報と共にもたらされる。また、小出家文書においては興行関係者からの案内に比べ、数が多い。例えば、みのや清兵衛からの書状は、名古屋の稲荷芝居・若宮芝居の外題、役者、興行初日、評判など詳細を記したものだが、この情報自体は小出家が注文した染物・仕立物の納品書にかかれたものである)44(。箕浦徳太郎からの書状も同様であり、衝立の唐紙に描く絵師について相談する書状に、芝居の情報が付記されたものである)45(。また、杉本彦兵衛の書状には、綿の値の下落)46(、融資の依頼)47(や近況報告などが記されており、雑多な記事の中に芝居に関する情報が併記されている。こうした芝居の情報をもたらす人々は小出家とどのような関係にあったのだろうか。差出人には、みのや清兵衛・箕浦徳太郎・中島藤三郎・杉本彦兵衛・前田三郎左衛門・ふゆの名が見られるが、ふゆ以外は、書状や他の史料から関係を伺うことができる。みのや清兵衛・箕浦徳太郎は、歌舞伎の情報が納品書や打ち合わせの書状に付随していることから分かるように、それぞれ小出家を顧客とする呉服屋、表具屋である。中島藤三郎については天保七年(一八三六)の買物控に名前が見られ、名古屋の宿屋であったと考えられる)48(。杉本彦兵衛は、挙母の高利貸であり、小出家にとっては金融業の顧客であった。また、単なる取引相手というだけではなく、小出家の人物と名古屋芝居を見物したり)49(、縁談の途中経過を報告したり)50(、また小出権三郎の駿府への出府を案じたり)51(と、懇意にする人物であった。前田三郎左衛門は足助村の村役人であり、小出権三郎を「役桟敷」の見物に誘っている)52(。このように、小出家における芝居の情報の多くは、物品の購入・生業・村政など、日常の生活によって結びつく人々からもたらされるものであった。これらの人々はどこに住み、どの地の興行の情報を伝えたのだろうか。書状の文言等から、みのや清兵衛・中島藤三郎・ふゆは名古屋、杉本彦兵衛は挙母、前田三郎左衛門は足助村在住の人物であると分かる。箕浦徳太郎は不明である。書状で言及される興行の多くは名古屋の芝居であり、中でも杉本彦兵衛は、挙母に住みながらも岡崎・名古屋といった都市の興行の情報を小