ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

近世の東海地方における地域文化の形成(27)200はじめに近世に都市で発生した歌舞伎は、諸国、村々へと広まっていく。三都の大芝居だけでなく、城下町・門前町や在方において芸能興行が盛んになり、三都の役者の他、その地域を拠点とする地役者、中小芝居の旅役者なども出演した。さらに村々においては、素人が舞台に立つ地芝居も上演されていた。このような歌舞伎文化の広がりは、どのようにして起こったのだろうか。西山松之助氏は、商品生産と流通機構の発達が、中央から地方への文化の伝播と定着を促したことを指摘した)1(。その中で地芝居について、「商品生産の高まりによって、村々が富裕化した結果、江戸との交流が盛んになり、その影響によって村芝居が発達するようになった」と述べている。吉田伸之氏は、江戸の大芝居の文化が宮地芝居・小芝居・寄席などの「コピー芝居」によって民衆に普及していく図式を示した)2(。また、神田由築氏は、侠客のネットワークにより上方を中心に興行の「場」が広がり、芸能が地域へと「供給」される様相を描いている)3(。神田氏は、侠客と芸団の巡演により、芸能の「流通」機構が整えられ、広範な地域に同質の芸能を「供給」することが可能になったと指摘した。さらに、芸能が「供給」される地の経済力や侠客の力量によって、芸能の質や量に格差が生じ、都市・市場の序列化が進んだと述べている)4(。近年「尾張文化圏)5(」「名古屋圏)6(」といった概念が提示されているが、これは、名古屋城下を拠点に活動する役者が、周辺地域で活動することにより、名古屋の文化が地芝居に影響を及ぼすという理解に基づく。芸能者の活動を高く評価したものだといえる。このように歌舞伎文化の広がりは、中央から地方への文化伝播の一端として、主に興行を催す側の視点から示されてきた。これらの一連の研究は、個別地域の事例が蓄積されてきた芸能興行の研究において、他地域との交流や影響関係を視野に入れているという点で高く評価すべきである。しかしながら、中央の歌舞伎が芸能者・侠客による興行によって各地域に普及していく、という図式では、以下にあげる地域性の問題について理解するのが難しい。江戸・上方の役者交流が盛んになり、役者の移動も広範になる中、三都の歌舞伎は均質化することなく、各都市の特質を持ち続け、人々はその差異を認識していた)7(。例えば、文化八年(一八一一)刊の『客者評判記』や文政十二年(一八二九)序『劇場一観顕微鏡』においては、江戸・大坂・京の各地の芝居の性格が比較されている。他地域と交流する中で、三都の歌舞伎が地域ごとの特質を持ち続けるのはなぜだろうか。また、恒常的に興行があるわけではない、在方への歌舞伎文化の広がりをどのように考えたらよいのだろうか。この点について考える上で、芸能の受容者の視点を欠かすことはできない。文化文政期、市川團十郎が江戸の観客の嗜好に応じて演技の幅を広げたということが、木村涼氏によって指摘されているが)8(、このことは、歌舞伎が、芸能者や興行師だけでなく、観客のように芸能を受容する側によって規定される文化であることを示している。各地の歌舞伎の差異・独自の気質といったものは、その地で歌舞伎を受容する人々の嗜好によって形成されると考えるのが妥当であろう。こうした芸能文化の受容者は、芝居興行の観客であると同時に、素人浄瑠近世の東海地方における地域文化の形成││歌舞伎・浄瑠璃の受容と地芝居の上演を通じて││神谷朋衣WASEDA RILAS JOURNAL NO. 1 (2013. 10)Abstract