ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ページ
206/230

このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている206ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

徳川家康の駿府外交体制(23)204禁教令とともに異国政策の変化が具体的に可視化されたのは、元和二年八月八日令の後である。以上のことをまとめると、元和二年八月八日令によって国内的には、大名たちの個別的なヨーロッパ諸国との貿易が実質的に禁止されたことであり、ヨーロッパ諸国の誹謗中傷による争いや角逐を終結させ、なお国内のキリスト教の脅威を取り除き、社会の安定をはかった。スペインの宗教・貿易政策と同様に日本は初めて宗教・貿易政策を一体化し、全国規模のキリスト教の取締りを本格化したのである。浦賀開港の封鎖は「中国│日本(浦賀)│メキシコ」の貿易ルートの挫折を意味するが、ヨーロッパ船の来航を長崎・平戸に制限することになり、異国に対する危機管理や貿易窓口を簡素化し、異国船管理が容易となった。日明講和交渉の不調により、日明貿易を確保するために中国船の来航を自由にした。一連の外交方針の変化に従い、朱印船の安全のために朱印船の渡航地も一六〇四年以降の一九カ国から一六一七年に六カ国(台湾・東京・交趾・カンボジア・シャム・呂宋)へ限定された。スペイン・ポルトガルとの関係を憂慮し、日本の手前にある東南アジア諸国のなかで貿易の可能な相手国を絞り、異国貿易を行っていたのである。つまり元和二年八月八日令は、日本に出入りするあらゆる商船や異国人の活動を制限し、幕府の管理下で統制することを示している。おわりに家康は駿府外交を積極的に行い、異国との外交と貿易を進める政策を推進していた。家康の日明講和と浦賀開港の交渉は、駿府外交政策の二つの軸をなし、駿府外交の核心事業である。両者とも中国貿易に関わっていることから、家康はこの政策を実現させ、浦賀開港を通じて中国(東南アジアをふくめ)とメキシコ(ヨーロッパ)の東西世界をつなげる貿易を構想したのである。家康は、日本が中国貿易に一方的に依存せず、今までの中国中心の華夷世界での貿易ルートと違う、中国・東南アジア・メキシコ・ヨーロッパをつなげて日本を中継とする東西貿易ルートを開拓することで、新たな日本の国際関係を築こうとしたといえる。しかし、日明講和と浦賀開港の挫折の意味や結果が、「元和二年八月八日令」に表れているように、この令は、駿府政治の維持してきた外交の枠を大きく変える転換点となったに違いない。そののち、最終的には一六三五年以後、中国船の来航を長崎に限定し、三九年ポルトガル船の来航を禁じ、四一年オランダ商館を平戸から長崎の出島に移転させた。長崎に異国船の渡航を集中させ、幕府の管理下に置くようになった。注(1)代表的なものとして、荒野泰典「日本型華夷秩序の形成」(『日本の社会史第一巻列島内外の交通と国家』岩波書店、一九八七年)、ロナルド・トビ『近世日本の国家形成と外交』(創文社、一九九〇年)の論文が挙げられる。(2)加藤栄一「オランダ連合東アジア会社日本商館のインドシナ貿易│朱印船とオランダ船│」(田中健夫編『前近代の日本と東アジア』吉川弘文館、一九九五年)。永積洋子『朱印船』(吉川弘文館、二〇〇一年)。(3)パブロ=パステルス『一六│一七世紀日本・スペイン交渉史』(大修館書店、一九九四年)。永積洋子『近世初期の外交』(創文社、一九九〇年)。鈴木かほる『徳川家康のスペイン外交』(新人物往来社、二〇一〇年)。(4)八百啓介『近世オランダ貿易と鎖国』(吉川弘文館、一九九八年)。永積洋子『平戸オランダ商館日記』(講談社、二〇〇〇年)。西村圭子「近世初期のポルトガル貿易について│鎖国決定への過程│」(村井早苗・大森映子編『日本近世国家の諸相Ⅲ』東京堂出版、二〇〇八年)。(5)三鬼清一郎「戦国・近世初期の天皇・朝廷をめぐって」(『歴史評論』第四九二号、一九九一年)五六頁。(6)生田滋『大航海時代とモルッカ諸島』(中央公論社、一九九八年)一二頁。(7)パブロ=パステルス『一六│一七世紀日本・スペイン交渉史』(大修館書店、一九九四年)二八七頁。(8)長崎市編『長崎市史通交貿易編西洋諸国部』(長崎市、一九三五年)二六八?二六九頁。(9)注(8)の三七九?三八〇頁。(10)武田万里子「日本列島防衛線の成立と鎖国」(『日蘭学会会誌』第一八巻第一号、一九九三年)七四頁。(11)藤野保『徳川政権論』(吉川弘文館、一九九一年)八〇│八二頁。(12)史籍研究会編『武徳大成記』(汲古書院、一九八九年)二七七?二七八頁。(13)注(8)の三四四?三四五頁。(14)クレイン=フレデリック『一七世紀のオランダ人が見た日本』(臨川書店、二〇一〇年)三〇?三一頁。