ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ページ
215/230

このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている215ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL(14)213諸島(アフリカ)の西方二千キロ(西経四五度付近)を分岐点として東側をポルトガル領に、西側をスペイン領と定めた。しかし東半球における境界線が不明確であり、ポルトガルは東回りでインドを経て東南アジアに進出する航路を確保し、スペインは西回りでアメリカ大陸を植民地化してアジアに進出した。一五二一年にスペインは東南アジアのモルッカ諸島に進出したが、二九年にポルトガルに敗れて撤退した。しかしスペインは、一五七一年にフィリピンのマニラを占領し、アジア貿易に参加した。一五九五年にオランダはジャワに至り、九九年にモルッカ諸島に進出し、ポルトガルと覇権を争った。つまり東南アジアの海域は、トルデシリャス条約に境界線が明確化されていなかったため、紛争が生じかねない地域であった)6(。こうしたなか、一五九六年八月、スペイン船サン=フェリペ号が土佐国浦戸に漂着した。一航海士が日本側の訊問をうける際に「スペイン人は世界中の人々の味方であるから、彼らと交際しようとしている。しかしもしもその国人がスペイン人を不当に遇するならば直ちに強力な軍隊を以てその国を奪う」と答えた)7(。ここにはスペインの領土拡張のための動きが読み取れる。これによってスペインへの脅威を抱いた秀吉は、同年一二月に長崎西坂で宣教師二六名を処刑し、キリスト教の迫害を始めた。東南アジアでの貿易はすでにスペイン・ポルトガルによって主導されていたが、そこにオランダとイギリスが覇権争いに参加した。オランダはアジア貿易の拡張のため、パタニに拠点を置いて、一六〇二年三月諸会社が合同して連合オランダ東印度会社を組織した。ポルトガルとスペインの貿易に対抗し、東南アジアへの進出を図った。東南アジアの海域ではポルトガル・スペイン船とオランダ船の衝突が多く、一六〇八年にオランダとスペインは一二年間の休戦条約を結んだ。オランダは、この条約の前に勢力拡大のためにアジア諸国と通商条約を結び、ジャウ島のローデ・レーウとフリフーン両船を日本に向かわせたが、この両船はマカオから長崎に渡航するポルトガルの商船を途中で捕獲するよう命じられていた。これを探知したポルトガル船はオランダ船が発見できないよう、出港の時期を早めたり、中国の海岸に沿って航海した)8(。一方で、日本もヨーロッパ諸国の争いに巻き込まれていた。家康の命を受けて一六〇九年から一〇年にかけて有馬晴信が台湾に良港の探索および中国の商船との取引のために派遣した人々が、オランダ人によって多数殺害される事件が起こった)9(。一六一四年には朱印船の渡航先のコーチシナで平戸商館勤務のイギリス人が盗難にあって殺される事件が起き、一八年にはオランダ船によるポルトガル船の拿捕事件が起こった)10(。東南アジアの海上におけるヨーロッパ諸国の覇権争いや衝突、それゆえの海賊行為などが頻繁に起こり、家康はヨーロッパ諸国が東アジアで引き起こしている緊張と脅威を目前にしていたと考えられる。2、駿府外交の枠組みこうした東アジア情勢のなかで、一六〇三年征夷大将軍に就任した家康は、五年に将軍を辞して翌年駿府に移った。そして家康は駿府のもとに優秀な人材を配置し、①財政や政治一般(老職)、②外交事務・寺社行政・文教政策、③商売(朱印船・貨幣・貿易関連・鉱山・農村行政)、④外国人(外交顧問)の四つのグループを設け)11(、このうち、②?④の三つのグループに異国にかかわる業務を担わせた。これらの人材は家康を支えるブレーンとして政策を推進し、徳川権力を強化する役割を果たした。なお駿府政治は江戸幕府の権力と分離して独自に働いたわけでなく、江戸幕府をサポートする機能として働いたと考えられる。駿府外交について、家康の伝記を語る『武徳大成記』は、「異国人来ル事)12(」と題して次のように述べている(①②は便宜的に付けた)。①秋七月、暹邏ノ商客、緞子・緋羅・鮫皮ヲ駿府ニ献ズ、神君ソノ商客ヲ御覧アリ、近侍ノ臣ニ命ぜラレ、南蛮諸国ノ事ヲ問シメ給フ、八月四日、呂宋ノ舩主類子ト云者、駿府ニ来リ、緞子并ニ蜜ト壷ヲ献ス、長谷川藤広長崎ヨリ申上ケルハ、日本ノ商人、大明・呂宋ノ諸国ヘ行テ、此比帰朝ス、大明諸蛮ノ商舶モ多ク来ル、黒舶ニ白糸十四万斤、并ニ絹帛・綾羅多ク積ミ来ル、阿蘭陀舶モ、平戸ヘ来ル由注進ス、十五日、大明人一官祖官ト云者、駿府ニ来リ、薬物ヲ献ス、神君召シテ、異域ノ事ヲ問せ給フ、京師ノ大商角倉與一ト云者、商舩ヲ