ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL(10)217(9)前掲注(1)小林氏論文。(10)前掲注(4)濱田氏論文。(11)餓鬼と貧人をともなう千手観音像については、朴亨国「『餓鬼をも救済する観音菩薩』の造形的な表現(『佛教藝術』二七〇号、二〇〇三年)にも詳しい。(12)前掲注(4)濱田氏論文。(13)千葉照観「現中国で最も盛大な仏教儀礼:水陸会」(『大正大学綜合佛教研究所年報』第十五巻、一九九三年)三五頁、坂本道生、「水陸会成立の経緯と展開について」(『天台学報』第五三号、二〇一〇年)など。(14)前掲注(1)小林氏「唐代の大悲観音(二)」九〇?九七頁、同「唐代の大悲観音(三)│並に本朝における千手観音信仰の起源について│」四頁、前掲注(4)濱田氏論文、一七二頁、一七五頁など。(15)小林太市郎氏の指摘による。前掲注(1)「唐代の大悲観音(三)│並に本朝に於ける千手信仰の起源について│」四頁。(16)現在では同じく鎮州の龍興寺に、この像と伝えられる千手観音の立像が残るが、龍興寺の像は様式的には北宋(九六〇?一一二七)末の特徴を示すとされている。前掲注(1)小林論文「唐代の大悲観音(二)」、九七頁。(17)宣統三年(一九一一)修『内江県志』。(18)「美術史料として読む『集神州三宝感通録』│釈読と研究│(四)」二五頁、注五八「空慧寺」(『奈良美術研究』第一一号、二〇一一年)。(19)この像に関しては、一〇七六年から一〇八五年の間、蜀に滞在した蘇軾が「大聖慈寺大悲圓通閣記」なる賛を寄せており、同時代に名を馳せていたことが伺える。『蘇東坡全集前集』巻四〇。(20)宋、氾成大編『成都古寺名筆記』(楊慎輯『全蜀芸文志』巻四十二所収)。(21)四川省文史研究館『成都城房古迹考』(成都時代出版社、二〇〇六年)三二三?四頁、王衛明「五代における西蜀寺観壁画に関する一考察│成都大聖慈寺の絵画史料をめぐって│」(『京都橘女子大学紀要』第二六号、一九九九年)など。(22)阿川正貫「水陸会」の現況及び一考察(『佛教文化?究』第四五号、二〇〇一年)四五頁。(23)『施食通覧』所載、楊鍔「水陸大斎霊跡記」(『新纂大日本続蔵経』第五七冊、一一三頁c)。(24)前掲注(13)千葉氏論文三五頁、前掲注(13)坂本氏論文、一七一頁など。(25)千葉照観「瑜伽焔口と水陸会」(大久保良順先生傘寿記念論文集刊行会編『仏教文化の展開:大久保良順先生傘寿記念論文集』、山喜房仏書林、一九九三年)三五八頁。(26)前掲注(25)千葉氏論文、三五八頁。(27)楊鍔以降、現代に至るまでの水陸会儀軌については、前傾注(25)千葉氏論文に詳細な一覧が載る(三五九頁?三六〇頁)。(28)「本朝東川楊鍔祖述舊規、製儀文三卷。行於蜀中、最為近古。」(嘉泰四年、宗暁撰『施食通覧』所載、宗?述『水陸縁起』、『新纂大日本続蔵経』第五七冊、一一四頁b)。(29)『施食通覧』所載(『新纂大日本続蔵経』第五七冊、一一六頁b?c)。(30)これら四川系の水陸会は、当時金山寺で行われていた梁武帝に仮託される水陸会に基づくとの指摘がなされている。千葉照観「水陸会形成に関った天台系の学僧」(『天台学報』第三十五号、一九九二年)八〇頁、戴暁雲「北水陸法会修斎儀軌考」、『世界宗教研究』二〇〇八年第一期、高志緑「南宋時代の水陸画について│水陸儀軌の変遷を手がかりに」(第六五回美術史学会全国大会発表、二〇一二年五月一九日、於國學院大學)など参照。(31)『施食通覧』所載、宗?『水陸縁起』(『新纂大日本続蔵経』第五七冊、一一四頁b)。(32)志磐撰『仏祖統記』巻十七、水陸会条(『大正新脩大蔵経』巻四九、三二一頁c)。金山系の儀文は「北水陸」、志磐の改訂版は「南水陸」と呼ばれる。なお、前掲注一七千葉氏論文によれば韓国には?宏改訂以前の志磐の儀軌が残るという(三五九頁?三六〇頁)。また、近年中国ではプリンストン大学、中国国家図書館、北京師範大学などが所蔵する『天地冥陽水陸儀文』が北水陸の儀軌にあたり、中国北部に残る水陸画がこの儀軌に基づいて製作されているとの論考が発表されている(前掲注(30)戴論文)。(33)現行の『水陸儀軌会本』は清代に儀潤が?宏本を詳述した『法界聖凡水陸普度大斎勝会儀軌会本』を底本とする。この他に現在の儀式においては、咫観『法界聖凡水陸大齋普利道場性相通論』及び『法界聖凡水陸大齋法輪宝懺』(『新纂大日本続蔵経』第一二九、一三〇冊)も参照される。周耘「水陸法会の歴史的沿革と儀礼の構成についての研究│中国仏楽研究シリーズ3」、『黄檗文化』第一三〇号、二〇〇九年、三二三頁。(34)『新纂大日本続蔵経』第五七冊、一一六頁b。(35)鎌田茂雄『中国の仏教儀礼』(大蔵出版株式会社、一九八六年)「第八章水陸法会」、一二九頁。(36)前掲注(33)周氏論文三〇九頁。(37)『新纂大日本続蔵経』第五七冊、一一八頁b。(38)前掲注(35)鎌田氏論文、一三四頁。(39)前掲注(30)千葉氏論文、八〇頁。(40)「九年七月丙申、上御西楼聴政、聞咸州所貢白鵲音忽異常、上起視之、見東楼外光明中有像巍然高五丈許、下有紅雲承之、若世所謂仏者、乃擎?修虔、久之而没。」藤原崇人「栴檀瑞像の坐す都:金の上京会寧府と仏教」(『環東アジア研究センター年報』第五号、二〇一〇年)六頁。(41)前掲注四〇、藤原氏論文。(42)北宋、金へ伝来した鳩摩羅什請来像については平林盛得「資料紹介優?王所造