ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

水陸会における千手観音の役割に関する一考察(9)218されるようになった千手観音像は、そうした現象の以前から、水陸会に期待される功徳の多くをかなえるとされてきた。また、これらの功徳を視覚化する四十大手や左右の眷族は、既に八世紀後半の時点で表現として定着していることが、現存作例から確認できる)50(。つまり、千手観音像は、もとより水陸会の本尊に相応しい像としての可能性を秘めていたのである。おわりに本稿ではまず、十一、二世紀宋代の中国においては、大型の千手観音像に対する関心が高まり、人々がその前に集えるような空間を像の前に設けるという傾向が見られることを紹介した。そして、唐代の千手観音像では古くから、施餓鬼の経典である『焔口経』と『面然経』に由来する二手をことさらに強調する表現をとることなどから、先行研究ではこれらの巨像が、水陸会の本尊として機能した可能性があると指摘されていることを述べた。さらに、宋代に至るまでの水陸会の沿革について確認し、水陸会がもとは『焔口経』と『面然経』から発生していること、儀式は九世紀から行われていたものの、十一世紀の後半になると、儀軌の整備が必要になるほど儀式がさかんになり、国家主催でも行われるようになっていたことを紹介した。また、沢山の水陸画をかけめぐらせた道場で儀式を行うという形式が初期の時点で成立していること、さらには宋代の儀軌からは道場の中心に主壇を設け、像を安置した形跡がうかがえるということ、そして主壇に置く像を特定の尊種に限る規定はないことを、宋代の史料や儀軌を検討して明らかにした。その後、実際の儀式についての記録を集めたところ、水陸会がさまざまな由緒のある像を迎えて開催されており、中でも南宋の皇帝が、首都臨安の寺院に千手観音を本尊とする観音道場を設立し、そこで水陸会を開催していることが分かった。最後に、宋代の水陸会が様々な目的のために開催されており、中でも亡者への施食と供養を趣旨とするものが多かったこと、そして千手観音が、もとよりこれらの功徳をかなえる存在として経典中に説かれており、造形化されてきたこと、また功徳の中でも特に亡者の安寧を実現するものが強調されてきたことを指摘した。以上の考察を踏まえても、宋代の水陸会において千手観音が本尊として用いられた可能性は、大いに考えられるのではないだろうか。また、文献史料からは、十一世紀から十二世紀にかけて、勅額を掲げる禅宗寺院で千手観音の巨像をまつる主要堂宇を新たに建設する例が散見された。同時期に皇室にも重視されていた水陸会は、あるいは、皇室があつく拝んでいた観音の像をまつるこれらの堂でも開催され、多くの布施を集めたのではないだろうか。最後に、宋代以降に中国仏教の主流の一つとなる禅宗では、唐代以来、千手観音への信仰を重視している。十一世紀、十二世紀宋代に見られる大型千手観音像の増加という現象は、こうしたさまざまな要素が相互に影響を及ぼしあった結果でもあったのではのではないだろうか。注(1)小林太市郎「唐代の大悲観音」(『佛教藝術』二〇号、一九五三年)、「唐代の大悲観音(二)」(『佛教藝術』二一号、一九五四年)、「唐代の大悲観音(三)│並に本朝における千手観音信仰の起源について│」(『佛教藝術』二二号、一九五四年)など。(2)「迎請」には祈雨、祈晴、祈雪などを願う例があったという。井手誠之輔「南宋の杭州仏画」(『日本の美術第四一八号日本の宋元仏画』、至文堂、二〇〇一年)、同「礼拝像における視覚表象:宋元仏画の場合(『死生学研究』一六号、二〇一一年)。(3)濱田瑞美「敦煌唐宋時代の千手千眼観音変の眷属衆について」(『奈良美術研究』第九号、二〇一〇年)五六?六三頁。(4)濱田瑞美「中国四川資州の千手千眼観音大像龕について」(『美術史研究』第四四冊、二〇〇六年)。(5)牧田諦亮『中国仏教史研究第二』、「第十章水陸会小考」(大東出版社、一九八四年)、二一三?二一四頁。(6)『大正新脩大蔵経』巻四九、三二一頁c。(7)同石窟の蔵経洞から発掘され、現在では大英博物館、ギメ東洋美術館、デリー博物館、エルミタージュ美術館などに所蔵される所謂敦煌画も含む。(8)王恵民「敦煌千手千眼観音像」(『敦煌学輯刊』一九九四年第一期)、彭金章「千眼照見千手護持│敦煌密教経変研究之三」(『敦煌研究』一九九六年第一期)、胡文和「四川与敦煌石窟中的『千手千眼大悲変相』的比較研究」(『仏学研究中心学報』一九九八年第三期)などを参照。