ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL(8)219られる。それでは、宋代の水陸会において人々は、どのような功徳を期待していたのであろうか。この点については、千葉照観氏が史料を博捜して検討しているが、氏によれば、水陸会を催す主な理由としては①鬼神に水陸の法食を施して、勧めて菩提心の行を励まし荘厳させる。②六道四生の苦悩を救い、地獄の者たちを救い出して人間に生まれさせる。③上は諸仏から下は諸鬼神衆などに至る四聖六凡に対して普く供養する。法食を受けたものでいまだ菩提心を発こしていない者は、菩提心を起こす。いまだ苦輪を抜け出していないものは、不退転を得る。いまだ仏道を成じていないものは、仏道を成ずることができる。④戦死者、家族、祖先などの故人を慰撫し、供養する。などが挙げられるという。特に④について氏は、水陸会の起源ともされる『焔口経』にから派生した、伝不空訳『瑜伽集要阿難陀羅尼焔口軌儀経』に、亡人に施食することが述べられており、また『施食通覧』の附録に引用される道宣の『四文律刪繁補欠闕行事鈔』巻下三に「今有為亡人設食者)45(」とあることなどを紹介し、死者の霊魂を鬼神と称してきた中国において、古くから故人に対する施食が重視されてきたことを指摘する。また、知恩院蔵宋版大蔵経の『大慈恩寺三蔵法師伝』巻六尾にある、「靖康建炎」、つまり金が北宋を滅ぼした靖康の変(一一二六)や、同国が南宋の都臨安に攻め入った建炎元年以降に兵刀にかかって苦疫を被る衆生を解脱させるために水陸会を開いた)46(ことを記す、紹興庚午年(一一五〇)付の書き入れなど、多くの例を挙げている。前章で述べたような、宋の孝宗が健炎元年の金の侵攻によって一度は焼失した崇福寺で水陸会を設けた例や、高宗が同じく金軍侵攻の際の戦没者のために水陸会を催した例も、この部類に入るであろう。注目すべきは、これらの目的を叶える功徳が、いずれも千手観音の陀羅尼の功徳に含まれるだけでなく、観音の大手や眷族の中に造形化されていることである。①については、第一章でも述べたように、中唐から晩唐にかけての四川の千手観音像に、観音が台座左右に甘露手と宝雨手を垂らし、その下方で甘露や宝雨を受ける、餓鬼や貧人の姿があらわされる例が多いことが、先行研究で紹介されている。さらに、千手観音の大手に甘露手と宝雨手が取り込まれる過程に、水陸会の派生元ともされる、『面然経』や『焔口経』が深く関わったとの指摘もなされている)47(。また、②については千手観音の主要経典である伽梵達摩訳、『千手千眼観世音菩薩広大円満無疑大悲心陀羅尼経』(以下、『千手経』)の願文に「我若向刀山、刀山自摧折、我若向火湯、火湯自消滅、我若向地獄、地獄自枯竭」とあることなどから、千手観音が地獄救済の性格を持つこと、そしてこの性格が千手観音の眷族として観音の台座左右にしばしばあらわされる、婆藪仙像と功徳天像によって視覚化されることが指摘されている)48(。③に関しては、菩提心を起こさせる、不退転を得させる、仏道を成させるなどの功徳がいずれも大悲呪の功徳として『千手経』に説かれている。また、のみならず同経中に、「若爲従今身至仏身、菩提心常不退転者、当於不退金輪手。」と説かれる金輪手が、四十手の一として造形化されている)49(。そして特に④に対応する功徳の造形表現については、餓鬼に甘露を施す甘露手、そして十方浄土への往生をかなえる青蓮華手、梵天への生まれ変わりを叶える君遅手、諸天宮への往生をかなえる紅蓮華手、生まれ代わる先々で諸仏の側を離れないようにする化仏手、生まれ代わる先々で、常に仏の宮殿の中におり、肉体を受けないようにする化宮殿手などが『千手経』に説く四十手の中に含まれており、数々の例が見られる。これらの功徳を約束するのは特に千手観音に限ったことではない。しかし、こうした功徳の実現性を観音左右の眷族や、持物を執る、あるいは印を結ぶ四十臂によって見る者に具体的に表すのがこの観音の特徴である。そして、水陸会を開催する理由の中でも特に大きなウェイトを占めた死者供養という目的に対応する功徳を、この観音がことさら強く約束することが、そのように視覚面においても、はっきり示されていることは注目に値しよう。宋代までに巨大な像が造られるようになり、宋代以降、大型の堂宇に安置