ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
WASEDA RILAS JOURNALロタトン)において、旧約人物像を祭司として描く傾向が強まることを論じる。オフリドに関しては、フルを同定する(p.124)とともに、「永遠の祭司」(民25:10-13)とされたピネハスが、キリスト教主教のフリーズと連続し、フリーズ中央には主の兄弟ヤコボ(10月20日の典礼で「祭司」とされる)が配されることを指摘した。卓見のようにも思われるが、ピネハスと対のヨシュアは祭司ではない。?実際に14世紀の聖堂では、しばしば「使徒の聖体拝領」のキリストが、大祭司の服装をしている場合がある。テサロニキのAgios Nikolaos Orphanos、バニャニ(マケドニア)のSv. Nikita(画家ミハイルとエウティキオス)、De?ani、Matei?、プリズレンのSoter(以上キリスト2度)、Ravani?a(キリスト1度)。E. Kourkoutidou- Nikolaidou,The Church of Christ the Saviour, Athens 2008, p.113, n.48.?詳細は別稿で論じるが、当面前掲の拙稿「ビザンティン聖堂装飾のイコンとナラティヴ」参照。ペリブレプトスの装飾は、網の目のように複雑に関連し合っている。そのネットワークの妙が、ミハイルとエウティキオスの真骨頂である。?七十人訳「第一列王書」1:14。新共同訳ではサム上1:14で、サムエルの母ハンナについて語っている。ギリシア語でハンナはアンナ、つまりマリアの母アンナは、サムエルの母アンナの不妊の苦しみを、同名のよしみで自らに重ねている。?創18章。? P. Maas, C. A. Trypanis, Sancti Romani Melodi Cantica.Cantica Genuina, Oxford 1963, 35 ?τ,η.? A.-M. Graavgaard, Inscriptions of Old Testament Propheciesin Byzantine Churches, Copenhagen 1979, pp.88-92.?アトス山ドヒアリウ修道院、1568年。? A. Vincenzi (ed.), La Cappella Palatina a Palermo,Modena 2011, pp.118-121.?新共同訳「娘シオンよ、大いに踊れ」。? E. Kitzinger, The Mosaics of St.Mary’s of the Admiral inPalermo, Washington, D.C. 1990, pp.139-140.ちなみにカペッラ・パラティーナと関係の深いラ・マルトラーナ聖堂の鼓胴部には、イザヤ、ダヴィデ、モーセ、ダニエル、エリシャ、エリヤ、エレミアと並んでゼカリヤが選ばれている。手にする巻物の銘は「大いに喜べ、シオンの娘。讃えよ、エルサレムの娘。見よ、汝の王」(ゼカ9:9)。このゼカリヤには、周囲の図像を含めてヨハネの父のほのめかしはない。21 P. A. Underwood, Kariye Djami, vol.1, London 1966,pp.49-59.なお3区画が余るので、加えてファレズ(ユダの息子、創38)、ザラ(ユダの息子、同)、エスロム(ファレズの息子、マタ1:3)を採用。上段の15人のうち、ペリブレプトスと重なるのはノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、エノクの5人である。22アウグスティヌス『ヨハネ福音書註解』11.8、同『新約聖書に関する説教』80.3、『福音書の一致について』II.3等。アウグスティヌスはアブラハム・イサク・ヤコブの3長老(族長)patriarchs = fathersから一つの民族イスラエルが生じ(三位一体)、そこからさらに12部族=十二使徒が生じたと解釈している。エイレナイオス『異端反駁』I.18.4は、出24:4、ヨシュ4:3、ヨシュ3:11-13、王上18:31等、旧約における「12」のシンボリズムを総ざらいした。23アプシスに接するベーマの北壁面には「ガリラヤ山におけるキリストの顕現」と「トマスの不信」の復活2主題が描かれ、ともに十二使徒全員を描いている。24アンブロシウス『寡婦について』3.18;アウグスティヌス『詩篇註解』138.7等参照。25秦剛平訳『七十人訳ギリシア語聖書II出エジプト記』2003年、河出書房新社、pp.89-90.26『ヨハネ福音書註解』の挿絵入り写本は少なく、該当箇所に挿絵を有する写本は現存しない。K. Krause, Die illustriertenHomilien des Johannes Chrysostomos in Byzanz,Wiesbaden 2004, pp.59-66.27 Sister Thomas Aquinas Goggin (transl.), Saint John Chrysostom.Commentary on Saint John the Apostle and Evangelist(The Fathers of the Church), vol.1, New York 1957 (1969),pp.130-40.28「十字架のしるしにおいて征服された、抵抗するアマレクはどこか。」『アウグスティヌス著作集』第18巻II、教文館、2006年、p.358.29 K. Weitzmann, M. Bernabo, The Byzantine Octateuchs(The Illustrations in the Manuscripts of the Septuagint, vol.II,Octateuch), Princeton 1999, vol.1, pp.169-170; vol.2,figs.726-29.30挿絵入りグリゴリオス説教集については以下参照。G.Galavaris, The Illustrations of the Liturgical Homilies ofGregory Nazianzenus, Princeton 1969.ここで論ずる箇所の挿絵はない。31 M.-A. Calvet- Sebasti, Gregoire de Nazianze, Discours6-12, (SC 405), Paris 1995, pp.350-52.グリゴリオスのフルらへの言及を網羅的に挙げることはしないが、この巻に限っても、6.17(p.164)と11.2(p.332)でもこのエピソードに言及している。32秦訳、前掲書、p.88.33新共同訳では17:23。34 PG 18: 9-408; A. Roberts and J. Donaldson (eds.), TheAnte-Nicene Fathers, vol.6, pp.383-93, Ann Arbor 1966(rep.).35ペリブレプトス聖堂、コーラ修道院等、後期ビザンティン壁画のイコノグラフィー。「ヤコブ原福音書」には泉の記述はない。不妊の女性の胎が開かれて子を孕む、ということと、水のイメージの関連は民俗学的問題かもしれない。聖母伝には「水の試み」(ヤコブ原福音書16)という主題もある。「水の試み」の予型論的解釈については、ミハイルとエウティキオスの描いたストゥデニツァ修道院「王の聖堂」に関する別稿を執筆予定。36 R. Janin, La geographie ecclesiastique de l’empire byzantin.1er partie: Le siege de Constantinople et le patriarcatoecumenique. Tome III, Le eglises et les monasteres, Paris1969 2 , pp.161-71; C. Mango,“The Origins of the BlachernaiShrine at Constantinople,”in Acta XIII Congressus InternationalisArchaeologiae Christianae, Split-Pore? (25September-1 October 1994), Vaticano-Split, 1998, vol.2,pp.61-76.37 A. W. Carr,“Icons and the Object of Pilgrimage in MiddleByzantine Constantinople,”DOP 56 (2002), pp.75-92, esp.n.13.38イスタンブール考古学博物館蔵。R. Demangel and E.26