ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
WASEDA RILAS JOURNAL伝サイクル)が4場面展開し、最終場面として「シルウェステルの竜退治」(以下、「竜退治」)が描かれた(図1)。これまでの研究は、ティヴォリのシルウェステル伝サイクルと教皇インノケンティウス3世(在位1198-1216)の著作、書簡の内容に類似性を見出し、シルウェステルとコンスタンティヌス帝の姿を教皇対神聖ローマ皇帝の軋轢の表象ととらえてきた。本論では、ティヴォリの「竜退治」において竜の身に着ける装飾品が「竜退治」では前例のないモティーフであることに着目し、他作例との詳細な比較考察を通じて、ティヴォリにおける「竜退治」の再考を試みたい。『シルウェステル伝』と『コンスタンティヌスの寄進状』シルウェステル伝サイクルの基本的な典拠は『シルウェステル伝』と『寄進状』となる。『シルウェステル伝』には主に3つのリセンションが伝わり、A版、B版、C版と呼ばれている。レヴィソンはこの聖人伝のA版及びB版の起源を5世紀以降に求めたが、ポールカンプは380年から410年の間にA版の起源を推定し、レヴィソンに異論を唱えた?。これまで、ラテン語写本が約300冊、ギリシア語写本が約90冊、そして多数のシリア語写本が確認された?。最古のリセンションとみなされるA版は二巻構成で、一巻目は、シルウェステルの生い立ちから始まり、キリスト教とユダヤ教の論争の準備をする場面まで、二巻目はユダヤ教祭司12人との論争と竜退治までを記す。B版は一巻構成となり、竜退治の記述にA版と相違点がある。C版はA・B版にシルウェステルの臨終、埋葬、奇跡に関する加筆がなされ、少なくとも9世紀半ばに成立した?。『寄進状』は、756年のピピンの寄進から、800年のカール大帝戴冠までの間に、ローマの聖職者によって作成された偽書である?。この偽書は、前半部(1-10節)のコンスタンティヌス帝のキリスト教への改宗と、後半部(11-20節)の寄進の二部で構成される。『寄進状』は11世紀後半に至るまで、教皇庁で用いられていなかったが、神聖ローマ皇帝と教皇の対立が深まるなか、教皇の世俗的権力を正当化する論拠となった?。『寄進状』に含まれる説話部分は『シルウェステル伝』に着想を得たため、共通するエピソードもあるが、「竜退治」は『シルウェステル伝』のみが伝える。ティヴォリ、サン・シルヴェストロ聖堂ティヴォリはローマから東に約30km離れた都市であり、サン・シルヴェストロ聖堂はその旧市街に位置する。同聖堂はおそらく1100年代に三廊式バシリカとして建てられた後、側廊が取り払われ、単廊式に縮小された?。身廊の西端にアプシスと勝利門壁面を備えた内陣があり、内陣内部には祭壇とコンフェッシオが残っている?。アプシス、勝利門壁面、身廊南北壁面にフレスコ画を有しており、様式や漆喰層の観察からアプシスと勝利門壁面の壁画は同時期の制作とみなすことができる。アプシス・コンカにはトラディティオ・レギスが描かれ、コンカ下部には、羊の行列、聖母子、洗礼者ヨハネ、福音書記者ヨハネ、旧約聖書の人物像に加えて、シルウェステル伝サイクルが配される。勝利門壁面の上部には、中央のキリストのメダイヨンを両側から、燭台、黙示録の四つの生き物、黙示録の二十四人の長老が囲む。勝利門壁面のスパンドレルには、左側にエリヤの昇天、右側にアブラハムとメルキゼデク、下部には聖人が描かれる(図2)。シルウェステル伝サイクルは、重い皮膚病に罹患したコンスタンティヌス帝のエピソードから始まり、皇帝の洗礼、ユダヤ教祭司との論争、シルウェステルが雄牛を生き返らす奇跡、ローマ人を襲う竜を退治するエピソードで終わる。本論の中心となる「竜退治」の詳細については後述する。サン・シルヴェストロ聖堂の壁画は全体として保存状態も良く、ローマ周辺における貴重な作例の一つであろう。トエスカ以来、ティヴォリの作例は、11世紀末のサン・クレメンテ聖堂壁画と13世紀前半に遡るアナーニ司教座聖堂クリュプタ壁画を結びつける作例と考えられてきた?。先行研究では、制作年代に関する研究者の見解が一致していなかったが、近年は様式的・図像学的観点に基づいて12世紀末から13世紀前半と推定される?。マッティエは、シルウェステル伝サイクルを神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(在位1155-90)によるティヴォリ占領(1157年)と十字軍への出発(1188年)という史実との関係から、1157-70年の間に制作されたとみなし、図像の典拠には『寄進状』を指摘した?。30