ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
ローマ周辺における「シルウェステルの竜退治」図像デムスによれば、モニュメンタルな構成、色彩、細部の様式から、ティヴォリの画家はシチリア、モンレアーレなどの壁画装飾に精通しており、ティヴォリの壁画を完成した後、アナーニ司教座聖堂クリュプタで「聖トランスラティオ遺物移動の画家」になったという。また、マッティエ同様にシルウェステル伝の典拠を『寄進状』と考え、制作年代を1205-10年と提案した?。サン・シルヴェストロ聖堂装飾に関する唯一のモノグラフは、ティヴォリとアナーニの作例が様式的・図像学的に類似することを明らかにした。ランツは、シルウェステル伝サイクルに教皇インノケンティウス3世が世俗権力に対して教皇権の優位性を読み取り、ティヴォリの制作年代をインノケンティウス3世とホノリウス3世(在位1216-27)の治世期である1210-25年とみなした?。典拠に『シルウェステル伝』を指摘したが、各場面に何が描かれていたかという詳細な分析を行っていない。ティヴォリのシルウェステル伝に描かれた4場面はいずれもキリスト教信仰に関わっており、『寄進状』に認められるような、皇帝権に対する教皇権の優位性を主張する場面は描かれていないため、筆者はシルウェステル伝サイクルを教皇と皇帝の政治的衝突とみなす見解に同意できない。ガンドルフォは、マッティエ、ランツによるシルウェステル伝サイクルの政治的解釈を否定した?。ティヴォリの壁画は、アナーニの「聖トランスラティオ遺物移動の画家」や在位中のインノケンティウス3世を描くサクロ・スペーコの壁画と比較すると、12世紀前半のティヴォリ司教座聖堂三連祭壇画やティヴォリ近郊カザーペのキリスト板絵に近いため、ガンドルフォは12世紀末から13世紀初めを制作年代と定めた。チェーリ、サンタ・マリア・インマコラータ聖堂のモノグラフにおいて、ツォメリゼはローマ周辺における「竜退治」を概観した。「キリストの代理人」という称号を用いた教皇であるインノケンティウス3世が、シルウェステル伝サイクルをティヴォリの聖堂に描かせたならば、図像の典拠は『シルウェステル伝』ではなく、政治的意図と結びついた『寄進状』となったはずであろう?。ツォメリゼもガンドルフォ同様に、ティヴォリのシルウェステル伝の主要なテーマが、皇帝に対する教皇権の優位性の主張ではないことを指摘し、ティヴォリの壁画は叙任権闘争後、つまり1122年のヴォルムス協約以後、1198年にインノケンティウス3世が即位する以前に制作されたと推定する。近年、マッダーロは、デムスとランツの見解を再び取り上げ、ピサとティヴォリの作例を12世紀末からインノケンティウス3世の治世期とみなした。マッダーロの解釈には、後ほど言及したい?。制作年代、典拠、「聖トランスラティオ遺物移動の画家」とティヴォリの画家の関係性が議論の中心であったが、これまで、ティヴォリにおいてシルウェステル伝がアプシスという聖堂で最も重要な空間に表された点は注目されなかった。シルウェステル崇敬は中世を通じて広まっていたが、より高まった時期にアプシスに配されたと考えてよいだろう。後述するアラートリの「竜退治」を除いて、アプシス内に配置されたものは伝わっていない?。それらを踏まえた上で、筆者は壁画の制作年代を12世紀後半から13世紀初めととらえたい。「シルウェステルの竜退治」『シルウェステル伝』はローマを舞台に展開する聖人伝であり、ローマの歴史・地誌と密接に関連し、ローマの指標となるモニュメントにも言及する。絵画化された「竜退治」においても、『シルウェステル伝』の版により、竜の洞窟の位置、洞窟の深さ、同行者などの詳細が異なる?。シルウェステルの夢にペテロとパウロが現れ、洞窟に住む竜が猛毒の息を吐き、1千人のローマ人が死んでいると告げた。皇帝の改宗以前は、ウェスタ神殿の巫女は竜に、1ヵ月に一度餌を与えていたが、改宗後、生贄を止めたため竜は毒気を吐き出すようになっていた。異教神官は生贄の再開を求めたが、シルウェステルはそれに反対し、竜を退治するために洞窟へ降りていく。そしてペテロが彼の前に現れ、竜を従わせる言葉を教える。シルウェステルは、司祭2人と異教神官2人を従えて洞窟へ下り、竜の口を麻の紐で縛り、それに十字架の印章で封印した。シルウェステルと司祭は無事であったが、神官は毒気に当てられて気絶し、シルウェステルによって洞窟の外へと運ばれた。この奇跡によって多数のローマ人はキリスト教へと回心したという。A版では、シルウェステルが司祭2人を伴って、150段の階段を下り、ウェスタ神殿近くにある竜の洞窟へたどり着く。このウェスタ神殿は、ポールカンプによればローマ中心地フォルムのウェスタ神殿31