ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALステル、後継者らがキリストの下でつながり、シルウェステルらは正統な後継者とみなされる。先行研究において、13世紀初頭にはシトー会やドミニコ会修道士による異端との討論会が行われており、ティヴォリやその他のシルウェステル伝サイステルの竜退治」は、神聖ローマ皇帝、異端、ユダヤ教に対するローマ教皇の優位性を示すという政治的プロパガンダよりも、むしろ、キリスト、使徒ペテロ、使徒パウロに導かれたシルウェステルの勝利を想起させる役割を担う。クルの「論争」場面に反映した可能性、ピサとティヴォリのサイクルにおける反ユダヤ主義が指摘されていた55。筆者がティヴォリの「論争」場面を詳細に観察したところ、ティヴォリの竜は、灰色がかったエプロン状のものを胴体に巻き付けている(図11)。このようなモティーフは、比較作例に認められず、先行研究でも言及がなされていない。このエプロン状モティーフが何かの象徴であるならば、ティヴォリの壁画が描かれた時代の竜の表象を知る手かがりとなるだろう。竜の身に着けたモティーフは、母ヘレナを先頭としたユダヤ教祭司集団の1人が腰に巻く服飾品と共通するが、何のモティーフかは明らかになっていない。このモティーフから、ティヴォリの竜がユダヤ教祭司を象徴とみなすこともできるが、ティヴォリの「竜退治」を反ユダヤ主義的図像みなすのは性急だろう。同サイクルは、特定の相手(神聖ローマ皇帝、異端、ユダヤ教など)に対する勝利よりも、キリスト、ペテロ、パウロの助けによって奇跡を起こし、キリスト教に反する全てのものに勝利するシルウェステルを描き出したと考えられる。おわりに「シルウェステルの竜退治」は、皇帝権に対する教皇権の優位性をアピールするための図像とみなされていたが、典拠の『シルウェステル伝』はローマを舞台にした聖人伝であり、各場面がローマでよく知られたモニュメントと結び付くことを忘れてはならない。「シルウェステルの竜退治」にはローマのカピトリヌス丘、古代異教のヴェスタ神殿、中心地フォルムで「冥府」と呼ばれる場所に建つサンタ・マリア・アンティクァ聖堂などを画中に表す作例も認められ、古代異教ローマとキリスト教モティーフが壁画に混在する。『シルウェステル伝』のリセンションの違い、周囲に配された図像、挿入されたモティーフとの関係から、図像を読み解いた結果、キリスト、使徒ペテロ、使徒パウロが同じ聖堂内、もしくは画中に描かれたティヴォリ、カルヴィ、チェーリの「シルウェ注? W. Levison,“Konstantinische Schenkung und Silvester-Legende”, in Studi e Testi, (Miscellanea F. Ehrle), 38 (1924),pp.159-247; H. Fuhrlmann, Das Constitutum Constantini(Fontes iuris Germanici antiqui in usum scholarum ex MonumentisGermaniae historicis separatim editi, X), Hannover,1968; W. Pohlkamp,“Tradition und Topographie: Papst SilvesterI (314-335) und der Drache vom Forum Romanum, inRomische Quartalschrift fur Altertumskunde und fur Kirchengeschichte,78 (1983), pp.1-100; T. Canella, Gli ActusSilvestri: Genesi di una leggenda su Costantino Imperatore,Universita degli Studi di Roma, Tesi di Dottrato di Ricerca inStoria Religiosa Anno Accademico 2001-2003.? H. Lanz, Die romanischen Wandmalereien von San Silvestroin Tivoli. Ein romanisches Apsisprogram der Zeit InnozenzIII, Bern, 1983; G. Matthiae, Pittura romana del Medioevo:sec. XI-XIV, aggiornamento scientifico e bibliografico di F.Gandolfo, Roma ,1988, pp.86-93, 277-279; E. Parlato, S.Romano, Roma e Lazio: il romanico, Milano, 2001, pp.226-232.? Levison, art.cit., p.211; Pohlkamp, art.cit., pp.40, 89,n.299.? Canella, op.cit., pp.10-13; Pohlkamp, art.cit., p.63.? Canella, op.cit., pp.11, 13, n.28; F. Mombritius, Sanctuariumseu Vitae sanctorum collecta ex codicibus mss, mediolanica. 1475, 2, Paris, 1910, pp.508-531.? Fuhrlmann, op.cit.;宮松浩憲「コンスタンティヌス帝の寄進状」,『久留米大学産業経済研究』48-1,(2007),pp.95-116.? N. M. Zchomelidse, Santa Maria Immacolata in Ceri: pitturasacra al tempo della riforma gregoriana, Roma, 1996,p.129.?サン・シルヴェストロ聖堂の建築はローマにおける12世紀の聖堂建築(サン・クレメンテ聖堂、サンティ・クアットロ・コロナーティ聖堂他)と外壁やファサード部分が類似する。?コンフェッシオとは殉教者の遺体や聖遺物を安置する祭壇の地下に設置された小さな墓室である。? P. Toesca, Il Medioevo, Torino, 1927, p.72.? Lanz, op.cit., pp.23-36.?マッティエは、ローマのサンタ・クローチェ・イン・ジェルザレンメ聖堂とサン・ジョヴァンニ・ア・ポルタ・ラティーナ聖堂、マルチェッリーナのサンタ・マリア・イン・モンテ・ドミニチ聖堂を論じた。Matthiae, op.cit.,pp.86-93.? O. Demus, Romanesque Mural Painting, London, 1970,p.303.?インノケンティウス3世によるシルウェステルの説教、ドイツ選帝侯宛書簡は以下を参照。Lanz, op.cit., pp.54-55;36