ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
- ページ
- 49/230
このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている49ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている49ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
キリスト伝サイクルの変容とスヴェティ・ニコラ聖堂の装飾プログラム図3図4前の聖堂でまとまったキリスト伝サイクルを残す聖堂は皆無に等しく、それ以前の様子を知ることは不可能だからである。カッパドキアの作例を年代順に並べると、9~10世紀にかけてキリストの生涯を語り尽くそうとするサイクルを指向していたことが伺える。ギョレメのトカル・キリセ旧聖堂(10世紀初頭、図3) ?が好例となろう。ヴォールトは南北に二分され、それぞれ3層のフリーズ状画面に分節される。北側第1層は幼児伝3場面、第2層は公生涯6場面、第3層は受難伝6場面、それぞれ左から右に物語が進行する。こうした絵巻物を拡げたようなサイクルを連続説話サイクルと呼ぶ。連続説話サイクルは、ウフララのコカル・キリセ(9世紀末~10世紀初頭) ?、ベリスルマのバハティン・サマンルーウ・キリセシ(10世紀後半) ?、チャヴシンの大鳩小屋(964/65年) ?と、カッパドキア各地で観察される。11世紀になると、典礼暦の整備、儀式の執行方式の変化、内接十字式建築の導入による内部空間の複雑化に伴い、キリスト伝サイクルも変容を遂げる。すなわち、キリストの生涯から十ドデカオルトン二大祭を抽出し、これを核にプログラムを構成するようになるのである。ギョレメのカランルク・キリセ(11世紀中葉) ?も内接十字式のプランを採り、北壁に幼児伝2場面、西壁に公生涯3場面、南壁に受難伝3場面を主要壁面に配する。十二大祭サイクルは単廊式の聖堂でも主流となった。クルビノヴォのスヴェティ・ギョルギ聖堂(1191年、図4) ?のキリスト伝は、東壁第2層の「受胎告知」を起点とし、南壁第2層に東から「エリサベト訪問」「降誕」「神殿奉献」「洗礼」「ラザロ」と続く。西壁はスヴェティ・ニコラ同様に前後関係に乱れがあるものの、第1層に「聖霊降臨」、第3層に「入城」「キミシス」「変容」が配される。北壁第2層は西から「磔刑」「降架」「埋葬」「空の墓」「アナスタシス」と並び、東壁第1層の「昇天」に至る。東から時計回りに物語が進行するのはヴァロシュと同じだが、キリスト伝サイクルは堂内を1周すれば完結するシンプルな構成である?。13世紀末までには、十二大祭を核としながら、「ゲツセマネ」や「昇架」等、副次的な受難伝図像が挿入されてキリスト伝サイクルは複雑化する。副次的な受難伝図像はスヴェティ・ニコラ以前にも描かれている。アルタ郊外のヴラケルネ修道院(1282~1284年)ではキリスト伝サイクルの大半が失われたものの、副次的な受難伝図像が残存し、身廊に「裏切」「ゲツセマネ」「アンナスとカイアファの尋問」「嘲弄」、北翼に「女弟子への顕現」「トマスの不信」が確認できる。マナスティルのスヴェティ・ニコラ修道院(1271年) ?は身廊北壁の受難伝サイクルに「裏切」「道行き」「昇架」を挿入する。14世紀初頭には、この複雑化・多層化の傾向は決定的になる。テサロニキのアギオス・ニコラオス・オルファノス聖堂(1310~1320年) ?を見よう。東壁第1層に「女弟子への顕現」、第2層に幼児伝から「受胎告知」「降誕」「マギの礼拝」が採られる。南壁は第1層に「神殿奉献」「洗礼」「ラザロ」「入城(部分)」、第2層に「ゲツセマネ」「裏切」「カイアファの尋問」「手を洗うピラト」を配する。西壁には、時間的な乱れはあるものの、第1層に「昇天」、第2層に「入城(部分)」「変容」「磔刑」、第3層に「ペトロの否認」「キミシス」「嘲弄(部分)」を描く。北壁の第1層は「降架」「トレノス」「アナスタシス」、第2層は「嘲弄」「道行き」「昇架」「晩47