ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL餐」「洗足」となる。このように、14世紀にはスヴェティ・ニコラより小さな聖堂でさえ詳細なキリスト伝サイクルを持つに至る。これまで様々な受難伝図像に言及したが、次章の議論のために、これらを出現の時期に則して整理しておこう。「入城」「磔刑」「アナスタシス」「昇天」といった、十二大祭に含まれる受難伝図像は聖堂装飾には必須の要素であり、全時代を通じてどの聖堂でも目にすることができる。また、副次的なエピソードである「裏切」や「空の墓」も、上述の4場面に比べれば少ないとはいえ、中期を通じて聖堂を飾ってきた。さらに、イコノクラスム以後、キリストの人性を擁護する必要から「降架」「埋葬」「トレノス」?が、中期ビザンティンにおいて新たに創出されたことも周知の事実である。これらの図像が中期を通じて描かれてきたのに対し、「ゲツセマネ」?「カイアファの尋問」?「手を洗うピラト」?「道行き」?「女弟子への顕現」?「トマスの不信」?といった副次的な受難伝図像は、前章でも指摘したように、10世紀までのカッパドキアでは散見されるものの、他地域の中期ビザンティン聖堂では途絶してしまい、後期になって再び聖堂装飾に組み込まれるようになった図像である。さらに、後期には「ペトロの否認」「嘲弄」「昇架」といった新たな受難伝図像が創出されるに至ったのである。ここで問題となるのは、なぜ13世紀後半に副次的な受難伝図像が復活を遂げ、あるいは新たに創出されて、キリスト伝サイクルに挿入されたのかという問題である。先取りするようだが、次章では後期にキリスト伝サイクルが大幅に増補される土壌が既に中期で整えられていた可能性について議論する。受難伝の拡大と大衆化ビザンティン人は典礼を通じてキリストの苦難の物語に関するイメージを膨らましてきた。日々繰り返される奉神礼は受難の象徴性に満ち、復活祭とそれに先立つ受難週間は日程の移動こそあるものの、毎年春に訪れる。とはいえ、文化史的な見地からすれば、イコノクラスム(730~843年)が受難伝の発展に拍車をかけたことに異論の余地はない。イコノクラスムがキリストの人性をめぐる最大にして最後の論争であり、キリストの地上での生を確証するために受難が強調されたからである。聖像擁護派は福音書の簡素な記述を潤色・翻案し、聴衆の心理に訴えるような手段でキリストの人性を擁護する。9世紀前半のニコメディアのゲオルギオス『第8講話』における「聖母の悲嘆」を引こう。彼は外典ニコデモ福音書を典拠としつつ、愛息の亡骸を前に嘆くマリアを描き出す。[十字架の]傍らで堪え忍ぶ母が、全てに晒されていることを思い出してください。この方は節度ある貴い態度で受難に結ばれています……。しかし、至聖なるご遺体が地に横たえられると、この方は遺体に縋って温かな涙で濡らしたのです。「[主よ、]ご覧下さい。善良なあなたの摂理が終わりを告げました……。万物に息を吹き込まれたあなたが、今や息もせず亡骸になって横たわっています……。今、不治の病を癒したあなたの傷ついた脇腹に口づけます……。今、目の働きを造られたあなたの閉じた目に口づけます……。今、この前まで最愛の子として腕に抱いた、息もせぬあなたを抱きしめています」?。引用にはレトリックが駆使され、演劇的な効果を上げている21。ビザンティンでは登場人物の独モノローグ白やダイアローグ対話を多用する講話が見受けられるが、これはイトピイア性格描写と呼ばれる修辞技法である。ここでマリアが吐露する悲嘆は類を見ないほど掘り下げられた。外エクフラシス形描写は遺体の細部まで視覚的に表現し、イトピイアと相まって聴衆に埋葬に立ち会っているかのような臨場感を与える。ゲオルギオスは難解な神学用語の代わりに神の力と人間の無力さ、過去の幸福と現在の不幸を対照し、受肉の教義を説明する。彼の「悲嘆」は定型となって受け継がれた。死別を主題とするので、表現は感傷の度合いを強める。10世紀のシメオン・メタフラスティスも、ゲオルギオスの講話を下敷きに、極めて感傷的な「悲嘆」の講話を残している22。本稿の議論にとって、同講話の重要性は文学的な価値のみならず、その用途にもある。11世紀には、この講話は修道院の受難週間の典礼に導入された23。テオトコス・エヴェルゲティス修道院のティピコン修道規則24によれば、受難の晩課により聖金曜日の典礼が始まる。晩課にはゲオルギオスの講話と「来たれ、讃えん、我らのため磔にされた方を」というロマノス・メロドスのコンタキオン25の朗唱がなさ48