ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
キリスト伝サイクルの変容とスヴェティ・ニコラ聖堂の装飾プログラム図6図7図8図9を介してキリストの苦悩にまつわるイメージを膨らませていたビザンティン人には「舌足らず」と映ったのかもしれない。こうしてキリストの受難の物語を増補して劇的に演出する新たな創造の時代が幕を開けたのである。スヴェティ・ニコラ聖堂が制作された13世紀は、ビザンティン美術史における第二の変革期にあたる。本稿を締めくくるにあたり、スヴェティ・ニコラ聖堂の受難伝サイクルの形成について私見を述べて、結論に代えたい。13世紀のマケドニア南西部で活動した画家は先行作例から多くを吸収したことが知られる。例えば、クルビノヴォに見られる過剰な衣襞は、ヴァロシュとマナスティル、2つのスヴェティ・ニコラ聖堂で模倣された──E・ディミトロヴァはこれを「クルビノヴォ中毒」と呼ぶ36。さらに、1270年代に活動したオフリドの輔祭ヨアンニスは隣町のストゥルガとマナスティルで仕事をしたことが銘文から知られるが、ヴァロシュのアルハンゲル・ミハイル修道院(1270~1280年)の西壁で同様の様式が観察される37。とすれば、スヴェティ・ニコラの画家も先行作例から多くを学んだ可能性は否定できない。新たに導入された副次的な図像にこそドラマティックな改変を施す余地があったのだろう。スヴェティ・ニコラの画家たちは先行作例の「劇的表現」を自身の作品に採り入れている。「道行き」がその端的な例となるが、これは2つの場面に跨がっている。一つ目は処刑の用意が整ったゴルゴタにキリスト一行が到着する場面で、マナスティルがこれを採る(図6)。もう一つはキレネ人シモンが十字架を担ぎ、キリストが首に縄打たれてゴルゴタへと連行されていく場面で、アルハンゲル・ミハイルがこちらに該当する(図7)。オフリドのボゴロディツァ・ペリブレプタ聖堂(1295年) 38では、スペースの余裕を活かして同一画面に両者を描いた。同聖堂の画家ミハイルとエウティキオスはキリストの首ばかりか両手にも縄を打ち、『神秘劇』のト書きが指示するようにキリストを見守る聖女たちを加える39という「演出」もしている(図8)。スヴェティ・ニコラではアルハンゲル・ミハイルに酷似する連行型を採用し、キリストに二重51