ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
WASEDA RILAS JOURNAL図10図11る恐れのあまり天使に背を向ける聖女とそれに寄り添う聖女はマナスティルからの借用である。いずれの事例もペリブレプタには見られず、スヴェティ・ニコラの画家が双方の画家の意図するところを汲み取ったことを表す好例となろう。中期ビザンティンにおいて受難伝のイメージは典礼と文学を通じて豊かに育まれ、13世紀の画家たちは前時代の果実を効果的に視覚化すべく様々な試行錯誤に取り組んだ。スヴェティ・ニコラの画家は13世紀のマケドニア南西部で活躍した先達の創意図12に縄を打つペリブレプタの演出を借用する(図9)。また「昇架」にも2つのイコノグラフィがある。マナスティルの「昇架」(図10)では、キリストが背を丸めて俯き、追い立てられるように十字架に登る様子を描く。他方、ペリブレプタでは、自らの意思で死に赴くがごとく、キリストは梯子に手をかけて決然と十字架に登っていく(図11)。スヴェティ・ニコラの画家が後者を好ましく思ったことは残された作例が沈黙の内に語っている(図12)。「晩餐」に後ろ向きの使徒を配する空間表現や「ゲツセマネ」でキリストを3回描く異時同図法は、一見したところスヴェティ・ニコラの画家がミハイルとエウティキオスに盲従しているかのように思わせる。もちろんペリブレプタの影響力を否定する気はない──その後、ミハイルとエウティキオスはセルビアのミルティン王の御用画家に「昇格」している──が、スヴェティ・ニコラの画家も自らがよしと思うところを取捨選択しているのである。「晩餐」における魚に手をつけるユダは同じヴァロシュのアルハンゲル・ミハイルに由来し、「空の墓」におけを吸収し、聖堂の壁面をドラマティックに演出した。マケドニアの片田舎に佇むスヴェティ・ニコラ聖堂は、規模こそ小さいが、次代への大きな転換点なのである。注?スヴェティ・ニコラ聖堂に関する文献は以下の通りである。Б.Баби?,“ЦркватаСветиНиколавоселоВарош(Прилеп),”Споменицизасредновековнатаипоноватаистори?анаМакедони?а, IV,Скоп?е, 1981, pp. 501-507; P.Miljkovi?-Pepek,“Sur la chronologie de l’eglise de Saint Nicolasa Varo? pres de Prilep,”Studien zum byzantinischenKunstgeschichte, Amsterdam, 1995, pp. 73-84;П.Костова,“Симболичнотозначе?енапретставатанаХристовотокрштеба?евоцркбатаСветиНиколавоВарош,ка?Прилеп,”Balcanoslavica 26-27 (1999-2000), pp. 39-59.スヴェティ・ニコラ聖堂の総合的なモノグラフは未だに出版されていないが、プリレプの文化財保存局は同聖堂の詳細なドローイングを出版している。Б.Атанасоски,СветиНикола,Варош-Прилеп;цртежинафрескииархитектура,Прилеп,2004.?В.Кора?,“ОЦрквиCветогНиколеуПрилепу,”ZbRVizI45 (2008), pp. 117-124.?益田朋幸「ビザンティンの単廊式バシリカ聖堂におけるキリスト伝図像の配置」『エクフラシス』第3号(2013年)、66-78頁。? A. W. Epstein, Tokal? Kilise: Tenth-century Metropolitan Art52