ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL1921, S. 28.22 Ibid., S. 29.母方がオリエントの血筋である情報はクレーがハウゼンシュタインに渡した日記の抜粋にも記されているが、チュニジア旅行と母方の血筋を結びつける記述は一切見られない。23カイルアンについては建国の歴史やアフリカで最初に建設されたグラン・モスクについても記述されている。Ibid., S. 83.24 Ibid., S. 87.25 Klee, op. cit., 1988, S. 517.(邦訳471頁)26 O. K. Werckmeister, The Making of Paul Klee’s Career1914-1920, Chicago, 1989, pp. 235-237.27 Klee, op. cit., 1988, S. 528-530.(邦訳482-484頁)28 Werckmeister, op. cit., 1989, p. 237.29 Paul Klee,“Die Farbe als Wissenschaft,”Das Werk, Oktober1920, S. 8.以下の文献で訳出されている。前田富士男「クレーとオストヴァルト」『パウル・クレー造形の宇宙』慶應義塾大学出版会、2012年、198-199頁。30前田、前掲書、2012年、217頁。31クレーは「日記を出版したら出版社はすぐに見つかるでしょう」と冗談交じりではあるが、ハウゼンシュタインへの手紙で述べている。Klee, op. cit., 1988, S. 529-530.(邦訳483頁)32 Allgemeines Lexikon der bildenden Kunstler von derAntike bis zur Gegenwart, Bd. 20, Leipzig, 1927, S. 426.33パウル・クレー、新藤信、奥田修、林綾野『クレーの旅』平凡社、2007年、106頁。34 Hopfengart, op. cit., 1989, S. 135-156.35 Werner Haftmann, Paul Klee──Wege bildnerischenDenkens, Munchen, 1950.(ヴェルナー・ハフトマン『パウル・クレー──造形思考への道』西田秀穂・元木幸一訳、美術出版社、1982年)。ハフトマンの著作以前に、クレーと親交のあったガイストによる46頁の短い冊子『パウル・クレー』が1948年に出版されているが、包括的な内容ではなく主に1920年代の作品解説にとどまっている。H. F. Geist, Paul Klee, Hamburg, 1948.36 Haftmann, op. cit., 1950, S. 9.(邦訳15頁)37 1925年、「ヴァイマールの国立バウハウスにおける理論の授業についての原案」という副題のもと、バウハウス叢書第2巻として出版された本のタイトル。クレーがバウハウスで使った1921年から1922年の講義ノートがもとになっている。38 1923年、バウハウスの機関誌に発表されたクレーの小論文の題目。自然と芸術における創造の類似性を論じている。39 Haftmann, op. cit., 1950, S. 47-57.(邦訳79-94頁)40 Ibid., S. 48.(邦訳80頁)41 Ibid., S. 51.(邦訳83頁)42日記はクレーの死後、パウル・クレー財団が保持していた。以下の文献を参照。シュテファン・フライ「ベルンのクレー作品」前田富士男・後藤文子訳、『パウル・クレー展──クレー家秘蔵』(展覧会カタログ)、石川県立美術館ほか、1995年、22-39頁。43 Carola Giedion-Welcker, Paul Klee, New York, 1952.44 Ibid., p. 41.45 Will Grohmann, Paul Klee, Stuttgart, 1954.46ヴォルフガング・ケルステン『クレー《おおはしゃぎ》──芸術家としての実存の寓意』池田裕子訳、三元社、2009年、112頁。47 Grohmann, op. cit., 1954, S. 54.48 Jean-Christophe Ammann,“Die Tunesien-Aquarell PaulKlees von 1914,”Kunst-Nachrichten, Jg. 2, Nr. 3 (1965).49 Max Huggler, Paul Klee──Die Malerei als Blick in denKosmos, Frauenfeld and Stuttgart, 1969, S. 40.50 Die Tunisreise──Klee Macke Moilliet, Ausst. Kat.,Westfalisches Landesmuseum fur Kunst und Kulturgeschichte,Munster, 1982, S. 310-325.51 Ibid., S. 34-55.52 Ibid., S. 50-51.53仲間裕子「ドクメンタdocumentaの美学と政治学」『立命館言語文化研究』13巻4号、2002年、177頁。54 Werner Haftmann, Malerei im 20. Jahrhundert──EineEntwicklungsgeschichte, Munchen, 1954, S. 12.55ハンス・ベルティング『ドイツ人とドイツ美術──やっかいな遺産』仲間裕子訳、晃洋書房、1998年、63-74頁。56 Haftmann, op. cit., 1950, S. 163.(邦訳246-247頁)57 Hopfengart, op. cit., 1989, S. 195-197.62