ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
文化的景観の危機と再生査法に基づいて作成された地籍図は、永年保存とするよう法文化すること。一、圃場整備事業の実施に当たっては、地方公共団体は、その経過、事前調査記録・写真等を作成し、永年保存すること。昭和53年10月1日第五回地方史研究全国大会代表者信濃史学会会長一志茂樹*******************(原文は縦書き。横書きにするに当たって若干表現を改めた。)信濃史学会を中心とする長野県の研究者は、「個々の地域に刻まれている歴史の跡を調査研究し、精密な耕地の調査と残存文献史料とによる総合的研究によって、初めて地域社会の正しい姿の究明は可能となる。」ことを早い時期から進めて実際に成果を上げていたのである。ところが、1963年から全国的に実施された圃場整備事業〈区画化された水田に作り変え、用水路、排水路を分離する事業〉は、このような土地に刻まれた歴史をねこそぎに破壊するものであった。この頃の日本はいわゆる高度成長期のまっただ中にあって土木事業による国土の改変が進んでいたが、農村部における最も大きな改変がこの圃場整備事業であったのである。当時のアメリカの農業に太刀打ちするためには大型のトラクターが入る圃場にしなければならないと信じられていた。したがって、この圃場整備事業は当時の農村に広く受け入れられるものであった。この宣言にあっては、圃場整備事業が行われることには全く反対していないのである。ただ、記録保存を十全に行って欲しいということを宣言したものであった。それでも当時の農林省はこの宣言にほとんど理解を示さなかった。これに対して文化庁においては若手の技官を中心にして積極的な対応がみられた。この圃場整備事業は、国庫財源が大規模に投入された点で世界的に見ても珍しい状況を示したと言える。本来自然のなかにあるべき村落が日本においては人工の集積の上に存在したのであり、この意味において日本の村落に「自然」はないといえる。1970年代はまさに高度成長期にあり、大規模な減税政策をとってもなお、税収が増え続ける時代であった。これほどの投資が行われた農村は日本以外にはあり得ず、農村では空前の発掘ブームが到来した。Ⅱムラの価値とその保全─広域水田遺跡をめぐって─文化庁の記念物課に勤務していた服部英雄氏(現在、九州大学教授)は、「宣言」の内容を受けとめて新たに「広域水田遺跡」?という概念を創出して上司と諮り、全国的なアンケート調査を実施するとともに、モデル的な調査の可能な地域を捜した。1980年4月、大分県教育庁に研究員として赴任した海老澤は豊後高田市の田染地区がこの調査の適地であることに気付き、服部氏と連絡を取り、職場の全面的な協力を得て、1981年から調査を開始することになった。この地は古代において朝廷の厚い信仰を得ていた宇佐八幡宮の荘園である豊後国田染荘(ぶんごのくに・たしぶのしょう)の存在したところである。その境内には日本で最も古い神宮寺である弥勒寺が存在した。この寺は白鳳時代の創建として知られる奈良・薬師寺と同じ伽藍配置を有しており、古代寺院としては最大規模のものであった。田染荘は、このような伝統を有する宇佐八幡宮の荘園であったため、平安時代末期からの関係史料が多数存在した。また、1980年の段階において現地景観が良好に保存されていたのである。加えて、田染荘内には、平安時代末期の中央文化が地方に流入した例として著名な富貴寺大堂(国宝の建造物)や同時代の密教彫刻を有する真木大堂、さらに中世前期の石造物として日本最大の規模を誇る熊野磨崖仏(国指定史跡)が存在し、文化財が集中する地域でもあった。次のフローチャートはそのときに実施した過程をまとめたものである。通常、圃場整備が行われる場合には、1:5000の基本計画図と1:1000の実施計画図が作成される。担当部局と教育委員会との協議にあたっては、埋蔵文化財の遺跡が問題となるが、同時に二種類の計画図の作成・保存が義務づけられるべきであった。「宣言」ではそのことが謳われたのだが多くの地域で十分な管理がなされないままとなっている。実施計画図は新しい圃場の設計図を作成するためのベースマップであるから、水田の形状、畦畔のあり方、田面標高などについては正確かつ詳細に記されている?。しかし、このままでは、広域水田遺跡の調査資料にはならない。特に問題となることは、都道府県営の事業の場合では、水田面のみが図化され、周囲の宅地はもちろんのこと縁辺67