ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

文化的景観の危機と再生の後大型バスの乗り入れ可能な道路ができ、集落景観も変化している。第二は遺憾ながら予測が100パーセント的中。1990年代に耕作放棄され、500年以上続いた棚田は完全に消滅した。問題は第一の場合である。13世紀から14世紀のムラであり、それを裏付ける文献史料があり、斜め空中写真のように眼前に展開する眺望がある。しかし、観光施設は何もなく、水田耕作が行われている普通のムラなのである。この時期の文化財保護行政では当該地域を「史跡」に指定する以外に保全の方法はなかった。幸い、東京大学シンポジウムを主催された石井進教授が小崎地区の史跡指定に積極的に取り組まれ、1989年には豊後高田市の諮問委員会として史跡指定委員会が発足した。ところが、地域の人々の積極的な賛同が得られず、1998年に至ってこの地においても圃場整備事業を実施すべきだとする要望書が提出されるに至った。800年以上の伝統を有する水田景観がまさに風前の灯火となったのである。Ⅲ文化的景観の危機・田園空間博物館構想・重要文化的景観ところで、1990年代に入って、日本ではバブルの崩壊があり、それまで信じられていた経済一辺倒の価値観に対して次第に反省の風潮が出てきた。1978年の「圃場整備事業に対する宣言」では、「山間や狭小な耕地を除けば」とあったが、80年代に平野部の圃場整備事業はほぼ終了し、90年代には谷を這うように登り、急傾斜地にまで及ぶようになっていた。アメリカのような広い圃場に大きなトラクターを入れる大規模農業による効率化が、日本の狭い国土では限界に達しつつあったのである。一方、国際的にはウルグアイラウンドの長期に及ぶ多面的な交渉が行われ、農業においてはヨーロッパの伝統的農業の保護とアメリカ的な能率を重視する農業政策が激しい対立を見せていた。このころから、日本の農業政策にも大きな転換がみられ、効率の悪い棚田が伝統農業として見直されるようになったのである。中山間地域の農家に対する直接支払制度が始まり、農業が持つサスティナビリティ的価値に対して経済的な裏付けがなされるようになった。1998年にはヨーロッパのエコ・ミュージアムのコンセプトが田園空間博物館構想として農水省の構想に取り入れられ、1999年には農水省の選定による「棚田百選」?がスタートした。このような中で、豊後高田市は新しい市長が就任し、田園空間博物館構想の受け入れを表明したことから前章の第一のモデル地区である尾崎館周辺地区では一転して田園空間博物館事業を進め、景観保存へと向かうことになったのである。グリーンツーリズムのための農家民泊も4軒が名乗りを上げた。2005年には、文化財保護法が改正施行され、重要文化的景観の保存が図られるようになった。これ田園空間博物館事業終了後の小崎(2007年10月撮影)71