ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
WASEDA RILAS JOURNAL明瞭にわかる。重要文化的景観の選定地の南の境の山際がこれに当たる。小崎の屋敷からも近く、用水が得られやすく、開発は比較的容易であったと推察される。このように小崎川の支流にまとまった水田があったのだが、他の重安名の耕地は田染盆地の広い範囲に散在していた。近世村落で言えば、小崎村と隣接して北側にある横嶺村の領域内に湧水を主水源とする水田2反を有しており、さらに田染盆地の北端に近いところにもわずかな水田を有していた。初代の名主であった覚妙はこの地域の広い範囲に足を伸ばして開発の適地を捜し、小開発を進めていたのである。このような開発を進めていたのは覚妙だけに限られるものではなく、盆地中央に拠点を有する末次名は盆地内に散在する所領を管理していた。末次名の水田は小崎川の上流域にも存在し、重要文化的景観の選定範囲の西端にも有していた。ただし、末次名の拠点は桂川の本流沿いで、近くに本流井堰が灌漑する1町5反の水田を有していた。また、大曲川の近くに拠点を有する永正名も荘域全体に散在し、小崎川の流域にも開発地があった。このように小崎川流域の重要文化的景観選定地には少なくとも3人の名主による開発水田が存在した。彼らは一つの水路を共有する関係にはなく、それぞれに水田適地を捜して開発したものであった。同時に彼らは畑地や荒野や草原にも手を伸ばしており、13世紀から14世紀の初めにかけて名主達は拠点となる屋敷を定めて田染盆地を基本的なテリトリーとして農業開発に関わる活動をし、それぞれの地の「当知行」を行っていた。このように13世紀から14世紀にかけての名主の拠点と開発の跡が具体的にたどれるのは、日本においてこの地だけであり、有力農民の開発地をピンポイントで明らかにできるのはアジア・ヨーロッパを含めてこの事例だけであろう。この重要文化的景観は従来文化庁が指定対象としていた史跡、名勝、天然記念物とは相違して、生活・生産の場が重視されていることがわかる。文化財保護の政策は、1960年代まで「凍結保存」などと呼ばれるように、生活・生産とは別の次元での保存が図られた。貴重な芸術品や考古遺跡であれば、現状変更がなされないように規制しなければならないが、伝統文化は様々な分野に及ぶ。1970年代半ばには、文化財保護法の改正により「伝統的建造物保存地区」が法的に整備され、城下町、宿場町、門前町などが保存の対象となった。しかし、なお、集落と水田を含む村落景観はその対象から除外され、1980年代に貴重な村落景観であることが明らかにされながら、この時期には農業政策も文化政策もその周辺にまで及んでいなかった。21世紀に入ってようやく日本では伝統的な村落景観が文化財保護政策の視野に入ってきたと言えよう。ただし、東アジアの諸国とは相違する日本的な情景を眼にすることができる。それは「住民主体の村おこし」である。日本では、何よりもその地に住んでいる住民の意志が尊重され、時としてそれは排他的な「ムラ意識」として作用する場合もあり、保全は難航する。アジアの諸国ではこのような日本の状況をどのように克服しているのであろうか。Ⅳムラ再評価の世界的な風①中国広西チワン族自治区龍脊の場合桂林に近い広西チワン族自治区龍勝県の大寨村と平安村という二つの山間の村には、梯田景区が設けられ、入場料80元を払って棚田景観を眺望する。大寨村はグリーンツーリズムに徹していて、ゲートから農家民泊まで1時間半以上急な斜面を全員が徒歩で登る。瑤族、壮族という二つの少数民族の人たちが荷物持ちなどをしてくれ、訪れた人はその対価を払う。1994年にカメラマン李亜石氏が両村を取材。雑誌『中国撮影』に掲載される。両村に自動車道路が通じたのはこの後である?。平安村は観光に傾斜していて多くのレストランがならぶが、村内に自動車を入れない点では大寨村と共通している。写真は龍脊梯田風景名勝区の七星追月の観景点から撮影したものである。大寨村にある4つの観景点の1つ。日本においても、棚田景観を眺める展望台(理系の研究者は「視点場」という)の整備は進んでいる。案内板を設置したり、ベンチを置いたりして、景観の価値を認識できるようにしているが、中国においては景観点に伝統文化を反映する名称を付し、棚田景観そのものにテーマ性を持たせる。「棚田の庭園化」が行われているのである。中国の棚田からは、日本やインドネシア・バリ島とは相違する伝統文化が見えてくる。以上、中国においてもムラの見直しが、1990年代に急速に進んだといえる。中国の都市に住む一般の人々がムラに強い関心を有しており、われわれが訪れた2012年6月、大寨村の宿でたまたま一緒に74