ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

文化的景観の危機と再生龍脊梯田風景名勝区の七星追月の観景点より(2012年6月撮影) <保全の実例>なった若い女性グループは皆すばらしいカメラを持っていた。聞いたところ上海でキャノンの専門店に勤めているということであった。棚田の写真を撮りに来たという。日本にも棚田保存区はあるが、出会うのは年配のカメラマンばかりであり、若者のムラに対する意識という点でも中国は相当に進んでいるように見受けられる。②インドネシア・バリ島の場合インドネシア・バリ島は、水田農耕が発達した火山島として知られる。スバックと呼ばれる伝統的な灌漑組織があり、ジャワ島をはじめ、インドネシアの島々がイスラム化する中で、唯一ヒンドゥー教徒が多数を占める島である。2012年にスバックとそれを支えるヒンドゥー教の信仰生活および棚田景観が世界遺産として登録された?。アメリカの文化人類学者クリフォード・ギアツは、1980年にこのスバックを高く評価した著書『ヌガラ─19世紀バリの劇場国家─』を刊行し、日本の人文系研究者に大きな影響を与えた。スバックを次のように評価している。「国家所有や国家経営の水利は一切存在せず、スバックより上位の自立団体の財産であったり、責任であったりする水利施設も一切存在しなかった。個々の土地所有者が水の供給を得るために存在した全施設─堰堤・水路・堤防、分水門、暗渠、高架水路、貯水池─時に他を廃し、時に提携して建設し、管理し、補修したのは、その土地所有者自身も正式正員であり、少なくとも法的には他正員と同等資格を持つ様な独立社会団体であった。」?これは同じ水田農耕を基盤としながら、日本とバリ島では大きな隔たりがあることを示している。ギアツの『劇場国家』が示すバリ島の水田社会と日本のそれとの相違点を示してみよう。(1)日本では、5~6世紀の天皇(王)が灌漑池や水路を造成したことが記録されているが、バリではそのような事例が検証されない。(2)日本では大化の改新に淵源があると考えられる班田収綬法により、古代において水田の国家管理が行われたが、バリでは全時代にわたって水田の国家管理はなかった。(3)日本では、8世紀には722年に政府が水田の100万町歩開墾計画を立案するなど、国家による水田開発計画が存在したが、バリでは19世紀に至るまで国家経営による水田開発はなかった。(4)日本では723年に三世一身法、743年に墾田永年私財法が発布され、個人による灌漑施設の保有と水田開発が可能であり、中央の権門寺院による大規模な水田開発が発生したが、バリでは王や君主、寺院による水田の大規模開発・大規模所有はなかった。(5)バリでは1050年ごろにスバックに類似する水利組織が見られるが、日本で惣村による灌漑池の管理が見られるのは14世紀以降である。(6)バリでは、大河川からの引水のよるスバック・グデが存在したが、個々のスバックの連携75