ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
WASEDA RILAS JOURNALこの二つをできるだけ最短距離で述べてみましょう。1村上春樹──戦後・IT時代・東アジアの緊張上のタイトルの「68年後」というのは、今年(2013年)が、日本の戦後の68年目にあたるという意味です。このタイトルは、三つのことを念頭に置いています。第一に、村上春樹が1949年生まれで、その4年前の1945年の日本の敗戦、また戦後のはじまりと、固く結びついていること、第二に、しかしそれからもうだいぶ時間が経ってしまってその「戦後とのつながり」自体がいったん切断され、IT時代ともいうべきところにわれわれはいること、第三に、にもかかわらず、戦後の枠組みをもつ問題群は、この東アジアでは、いまだ解決されておらず、そこから、先の二つの要素を重ね合わせるように、新しい政治的、経済的な緊張をはらむかたちで、新しい東アジア世界というものがいま顔を出そうとしていること。そしてその前提をなすのが東アジアは現在、第二次世界大戦の「歴史の枠組み」への顧慮なしには存在しないだろう、という認識です。さて、東アジア文化圏という言葉ですが、これは、去年9月、尖閣列島国有化を機に激発した中国での反日暴動と日中対立の際に、村上が行った「魂の行き来する道筋」という発言の中に出てきます。そういうものが想定可能である。村上は、そうした新しい状況のもとで、相対立するいくつかの国、日本、韓国、台湾、中国のなかで、広範な特に若い人々にそれぞれに支持される、ほとんどただ一人の例外的な主題、存在になっています。まさしく、対立と緊張をいまも深める日本と中国と韓国、その三つの国で圧倒的に作品が読まれ、多くの人々に支持され、その発言が偏見なしに受けとめられる村上は、その意味では、東アジア文化圏という世界を体現する、現在、代表的な存在というべきなのかもしれません。その支持のされ方は、その国自体のなかで、多層的でありうるし、また、国ごとにも、それぞれに違っているでしょう。しかし、そのような対立を抱えた地域で、一人の小説家が、一つの「合い鍵」あるいは「マスター・キー」、つまりフランス語でいうpasse-partout──どこにでも出没できる──の存在になっていること。そのことの意味は、大きいといわなければなりません。そのことを手がかりに、村上春樹について、また東アジア世界について、どういう新しい視角が生まれてくるのか、ということをここでは簡単に述べてみます。2マスター・キーと小説いま東アジア世界における村上春樹の存在の意味を「合い鍵」、「マスター・キー」といいましたが、その意味は、彼の小説が単なるこの世界での「共通項」となっているという意味だけではありません。ここに「小説」という媒体の特質がある。つまり、村上春樹がこれらの国で共通に受け入れられている意味は、たとえばオタク文化や「かわいい」文化が、これらの地域全体を文化現象的に席巻しているということとは、本質的に異なる意味をもっているということです。その意味で、「マスタ・キー」のフランス語であるpasse-partoutは、私に、ジュール・ベルヌが一八七二年に書いた『八十日間世界一周』のことを思い出させます。というのも、この小説は、インドに東西を横断する鉄道が開通し、イギリスがイギリスの植民地、旧植民地、また覇権を有する地域だけを飛び石伝いに通過することで、世界を一周することができるようになった──つまり英国の経済産業的な世界制覇が実現した──ときに、そのことに真っ先に気づいたフランスの小説家ジュール・ベルヌが構想した興味深い作品なのですが、そこにこの言葉が、意味深い仕方で出てくるからです。ご存じのようにこの小説では、地球という球体の制覇という無限性と、地球の自転という有限性の特質が、最後の一日違いの日数計算のトリックを巧みに作っています。また、その対置は、イギリス人の富豪を主人公に、如才なく機転のきくフランス人をその召使いたる執事に配した一対のコンビのうちにも生きています。富豪の前身はドン・キホーテ、召使いの前身はサンチョ・パンザです。ところでその執事の名前が、Passe-partout(パス・パルトゥ)という。これは、字義的にいうと、どこにもいける、どこでも通用する、という意味のフランス語ですが、つまり、富豪フォッグ氏が、召使いのpassepartoutに導かれるようにして、世界を一周する。その話が、同時に、いかにもイギリス的で気むずかしい非共約的なマスターと、異なる世界を自由自在170