ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

68年後の村上春樹と東アジアに流通する共約的なバトラーが、一対で世界を一周する、そんな物語に重なっているのです。ところで、小説もまた、共約的なものと非共約的なものとの重層的な一対ではないでしょうか。この点、村上の小説が東アジアのどこでも通用するということの意味はこの小説の主人公たちの一対とよく似ているのではないでしょうか。そしてそこに村上春樹の「小説」が共通項であることの、オタク文化が共通項であることとの違いが、あるのではないでしょうか。村上春樹が東アジアのマスター・キーだということの中には、「非共約的なもの」がある。その共通性はじつは重層的で、深いのだ、ということになるのではないかと思います。3尖閣諸島対立と村上発言、閻発言さて、そのような存在として、去年(二〇一二年)の九月、日本政府による尖閣諸島の国有化から生まれた日中両国の緊張のなかで、村上春樹が注目すべき発言を行いました。彼は、いま東アジア文化圏ともいうべきものが生れようとしていること、その背後にこの二十年来の中国、韓国、台湾の「めざましい経済的発展」があることを指摘し、このことによっていよいよ確かなものになってきた文化的交流は、われわれの相互理解と信頼を深める「魂が行き来する道筋」として大事な意味をもつだろうこと、ナショナリズムは一夜の安酒の酔いに似ているが、その対極にこの深い「魂の行き来」の道筋があると語り、この「魂の行き来する道筋」をこれからも「何があろうと維持し続けなければならない」、と述べたのです。ところで、興味深かったのは、この村上の発言に、中国の先進的な小説家、閻連科(イェンリェンクー)が呼応したことでした。彼は日本のメディアに寄稿し、こう述べました。村上の発言に自分は自分の動きの鈍さを「恥ずかしく思う」。このような憎悪と憤激の激発に対してわれわれは彼がいうごとく、理性を行使し、「文化と文学」という「人類存在の最も深い部分の根」を守らなければならない。それが「中日及び東アジアの人々が互いに愛し合うための重要な血管」なのだと。その閻(イェン)さんが、今日、このシンポジウムに参加して下さり、さきほど、われわれは彼のトークを聞いたところです。さて、私がこのやりとり、また、閻さんの話から感じるのは、こういうことです。閻連科発言を掲げた昨年の『アエラ』の記事は、このとき、興味深い中国メディアの特派員の観察を一緒に載せました。これまで、右翼的な作家以外には、村上以前に、「領土問題について率直な意見を明らかにする」日本の「著名作家」は「ほとんどいなかった」というのです。閻さんの寄稿は、最初に大江健三郎の領土問題への発言に対する尊崇の念も記されていますから、大江健三郎は発言していたのだと思います。でも、総じていえば、その印象は間違っていない。これらの問題があまりに愚劣なものであるだけに、日本の多くのまっとうな作家の大半が、これを批判的に見ていたことはいうまでもないとして、これを外から見える形で、改めて発言することは、余りなかったのでした。しかし、なぜそうなのか。私自身について考えても、なぜ発言しなかったか、と反省してみると、あまりに愚劣で政府の愚行ぶりがあからさまなときには、かえって発言しづらい。一般の新聞その他でいわれている以上のことはいえないなと感じるばあい、特に発言を求められなければ、自分からは発言しない、と考えてきたことに気づきます。目新しいことがいえないのなら、他人と同じ紋切り型の反対を口にしても仕方がないということです。しかし、もうそれではダメなのではないか。新鮮なことではなくとも、これは大事だということ、つまり目新しくない、大事なことを、人々の耳に届くように語ることが、いまは必要なのではないか。つまり目新しくないことを、自分の言葉で語ること、これこそがいま大切かもしれない。私はいま、そう思っています。私の理解のなかでは、こういう新しい覚悟に立って、今回のシンポジウムは企画されています。少なくとも、閻連科さんの記事を読んだ李成市さんから、こういうことをやらないか、と昨年、提案を受け、これを引きうけたのには、そんな思いがあったからでした。その時にくらべ、もう少し、今年は、その気持が深まっています。それが私の中で確信的なものとなっています。新鮮なことをいえなくとも、ものごとを、人に対して訴えること、そのことが大事なのかもしれない。そう思っていま、ここに立っているのです。以下、その「さほど目新しくないこと」を二、三、東アジア世界と、村上春樹の東アジア観にふれつ171