ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

荒川修作と21世紀の新しい価値の創造――日本、アジア、西洋を越えて――まで少なからず語られてきた。とはいえ荒川における分野横断的な視点は、一方で美術史的視点から対象をみようとすると理解しにくい部分が多い。そのためか、造形作品自体については意外にもあまり論じられていない。そもそも、アートヒストリーなどという伝統的文脈や規制の学問分野からは捉えきれない事実にこそ、彼の業績の革新性もあるのだろう。しかしながら、あらためて彼の業績を振り返って概観すれば、オブジェ、絵画、大きな空間全体のデザイン、建築、都市計画と、手法や対象は異なっても、彼は、最初から最後まで造形を通して何かを表現しようとした「造形作家」であったことも確かだ。そこでここでの試みは、あらためて荒川の「造形作品」に焦点をあて見ていこうとするものである。この際、彼の残した多くの著作は、作品を読み解く手がかりとして有効となるが、代表的なものに『死なないために』あるいは、『死ぬのは法律違反です』といった著作がある(5)。「死」を中心とした衝撃的かつ奇妙なこれらの書物のタイトルは、彼の造形作品においてもまた、メインテーマとなっており、すなわち「死」の克服に向けられていたことを示している。ところで、「死なないため」とは、別の言い方をすれば、「生」へのこだわりでもある。しかしここで、一つの疑問が起きる。なぜ荒川は、「生きるため」ではなく、「死なないため」と言うのだろうか。この謎を解くため、まずは主要な作品を年代を追って確認することから始めよう。1初期の平面作品ー『棺桶』シリーズから『図式絵画』、『意味のメカニズム』まで(1)『棺桶』シリーズ1950年代、荒川がまだ日本で活動していた初期の代表的作品に棺桶をテーマにした連作がある。《抗生物質と子音にはさまれたアインシュタイン》(国立国際美術館蔵)は、1958-59年に制作されたそのうちの1点である。本作では、長さ約166センチメートルというほぼ等身大に近い木箱に、綿の入った布が敷き詰められ、その上に、セメントを素材とする塊が置かれている。箱には蓋もあって、棺そのものを連想させ、見るからに不気味である。荒川は当時、木箱にセメントのオブジェを入れて構成した類似の作品を数多くつくっている。これらは少年時代の敗戦時に死体を見すぎるほど見たという荒川の体験から生み出されたと考えられ(6)、まるで棺のなかに安置された死体のようである。だがこの作品では、よく見れば、上下2段に配された8つの楕円形が胚芽のようにも見えてくる。つまりここでは、死と同時に再生、生命の萌芽が暗示されてもいると考えられる。タイトルにある「抗生物質」とは、荒川自身が10代に体験した結核の治療薬と関連しているとも思われ、すなわち、それは荒川自身が結核による闘病において、死の縁から生還した現実が投影されていると考えられるが、問題は個人的体験に限定されるものでもないだろう。棺桶シリーズには、上記作品のほか、《オッペンハイマーとカールソンの宇宙船上の婚礼》、《キューリー夫人の思い出》など、科学や宇宙を示唆する題名がつけられており、一般的な意味では科学や宇宙によって未来を志向する時代性が感じられる。過去を葬り、新たな何かを創造しようとする、創造への意志がここには内包されているのでもある。(2)『図式絵画(Diagrams)』『棺桶』シリーズを発表した直後の1961年12月、荒川は渡米し、以来ニューヨークを拠点とする。『図式絵画』はその渡米後の1960年代から80年代にかけて制作されたシリーズである。これらの作品は、定規で引かれたような線、機械的なタイポグラフィの文字を配したもので、まさに「図式(ダイアグラム)」で構成されたものである。今回早稲田大学の荒川展ではこれらをまとめて展示したが、興味深いのは、図版からはわかりにくいが、作品のサイズは比較的大きいものが多く、意外にも見る人を圧倒する迫力があることだ。たとえば《Or/pinned/and Vibrating》(1977-78) (7)は縦横185,7 x 252,5センチメートルの大きさがある。だが観る者を圧倒するのは、その大きさだけによるのではない。『図式絵画』はどれもたしかに「機械的」を装っているのだが、画面は不思議なほど躍動感に満ちており、画面のなかのさまざまな図式的要素が、私たちを絵画空間へと取り込むように迫る。たとえば矢印。一定方向の流れを意図するこれらは、空間に大きな運動感をもたらしている。あるいは、画面を一杯に満たす線。シリンダー状の形態は人体を思わせる。これらは、すなわち冷たい図式から構成されているのに、私たちを取り巻く空間に満ちるエネルギーを想起させるだろう(8)。過去の作例をたどれば、これ101