ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

荒川修作と21世紀の新しい価値の創造――日本、アジア、西洋を越えて――らあらかじめ制作依頼しつくられた。実現にあたっては、建築設計を担当する磯崎新と造形作家の荒川修作、宮脇愛子、岡崎和郎とが話し合い計画された。そのため出来上がった建物と、そこに収蔵された作品とは切り離せない関係にあり、建物と作品とが一体化した特別な空間を生み出している。ここには3つの展示室があるが、それぞれ太陽、月、大地と名付けられ、外部からもその形状が認知出来るような形をもっている(13)。このうち荒川修作の作品は太陽と呼ばれる棟にある。それは筒状の形をしており、自然の地形の上に、正確に南北の軸に沿って、8分の1(約11度)傾いて置かれている。太陽は外から見れば、ただの筒にすぎないが、中に入ると荒川の新しい造形の世界が広がる。《遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》と名付けられた作品は、荒川自身、「いずれ国宝になる」(14)と豪語するものである。作品はタイトルの通り、1450年、京都に創建された臨済宗妙心寺派の禅寺にある龍安寺の石庭がモティーフになっている。龍安寺の石庭は、幅22メートル、奥行10メートルほどの敷地に白砂が敷き詰められ、15個の石が5か所に配された文字通り石で構成された庭である(15)。一見簡素だが、その瞑想的な空間は、日本だけではなく、海外のアーティストたちの着想の源にもなってきた。荒川は日本でもっとも有名なこの庭を模倣した造形を、円筒のなかに2つ、しかも対称的に設置した。対称的な配置は、先ほどのレモンでいえば、それが「現実の庭」なのか、「庭の反映」なのか、その場を体験する人間を混乱させる効果を持つことになる。またこの庭には、龍安寺の石庭には一見似合わない、庭とは無関係なベンチやシーソーなどもある。つまりこの作品には、龍安寺という、非日常の「高級芸術」とされる引用と同時に、街角の公園でどこでも見かけるようなベンチや鉄棒、シーソーなどの「日常」が同時に示されている。それらはまぎれもなく、子供の頃の記憶を呼び覚ますものである。荒川の説明によると、この筒のなかにあるのは、「鉄棒、ベンチ、シーソー、龍安寺の庭、赤、グレー、緑、光、影、騒音、雑音、温度」で、「すべてのものが日本人のなかに入っているものばかりで」(16)ある。そのカーブした不安定な空間では、私たちは上下はもとより、自分の位置もよくわからなくなる。そして否応なく、自分の体を支えるための動きを強いられるが、これこそが、「建築する身体」を意味する。「建築する身体」とは、以降、荒川の思想の中心的主張となるもので(17)、荒川はこれについて次のように説明する。「あらゆる形式において、『精神』は非常に重要視され、極限まで追求されることが望ましいとされながら、一方の『肉体』やその行為は、本質的には考慮の範囲外に置かれています。唯一、私の考えている『建築』の形式が、芸術、哲学、科学の総合にもっとも適していると思ったのです。」(18)また続けて言う。「私が提唱しようとしている『建築』は、身体の行為や運動を抜きにしては不可能です。(略)簡単に言えば、『建築する(アーキテクテング)』ことによって、『新しい生命』の構築に向かいたいのです。」(19)すなわち、荒川はこの作品を通して、「身体」性の重視を訴えるのであり、人間と環境との相互作用を問う。荒川の主張は、記憶も、ノスタルジーも、新たな体験も、身体的感覚を通してのみ真に更新されていくというものだ。そしてその場としてふさわしいフィールドとして「建築」があるということである。(2)養老町の『天命反転地』荒川が次に手がけたのは『天命反転地』である。この作品は岐阜県の養老町に1995年オープンした。18,000平方メートルという巨大な敷地全体に展開する本作品は、テーマパークのような外観をもち、オープンなスペースに9つの建物と148の回遊路が設けられている。敷地は全体にすり鉢状になっており、傾斜のきびしいところもあるため、この作品に入ると、私たちは身体を意識し、使うことを余儀なくされる(20)。ここではあちらこちらに盛土や植栽などを設けたデザインが施されているが、その景色は、日本庭園を彷彿させる。龍安寺のように明確な源泉は示されていないものの、荒川が日本の風景を意識したことは確かである。荒川は以下のように説明する。「既知のものであり、民族的、歴史的なものの、宿命的なものがここには散らばっている」(21)。ここには日本列島や世界地図のイメージも描かれ、具体的に「日本」が示されている。荒川自身は、養老の『天命反転地』は「奈義との違いはあまりない」とする。「奈義の場合は一つの103