ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL容器に収めようという試み」であったものが、養老ではその小さな容器をたくさん置くことで、現象を散らばせて、一人ひとりの経験から生まれる感覚を結び付けるのが目的であったという。つまり、そこで「共同性のコンセプト」をつくろうとしたようである(22)。ところで、「共同性」となれば、それはすなわち、街や都市の構想と繋がってくるのであり、荒川は以降、より現実的な住宅や都市の構想へとステップを進めていくのである。(3)大規模プロジェクトへの展開-住宅建築から都市整備まで2005年、荒川は東京の西郊外、三鷹市に『三鷹天命反転住宅』を完成した。現在も人びとが住む一般の集合住宅である(23)。奈義の空間は美術館であったし、養老の空間はテーマパークのようなものであり、いわば非日常的な空間としてあった。これに対しこの作品は、住宅という日常空間のデザインであり、これまでのものとは意味が違う。円筒形や方形を組み合わせた外観は、凹凸に富む。また色彩は赤、青、黄色といった反対色を組み合わせたかなり鮮やかものである。こうした外観はモノトーンの方形による住宅建築に慣れた私たちの目をまずは刺激する。また室内に入れば、目だけではなく、身体を刺激する場が広がっている。壁は傾き、床は段差があるため、そこに暮らせばつねに身体に注意を払い、身体をいろいろ使わざるを得ない空間なのである。それは現在、一般社会が懸命に取り組む平板なバリアフリーとはまったく対照的な概念を展開したものとも言えよう。このように日常の生活自体により密接にかかわることで、荒川はついに、「死なないため」の思想をより有効に実現しようとしたのである。実現には至らなかったものの、彼が残した都市計画にかかわるデザインは、そのことを明確に示していて興味深い。住宅からさらに住宅周辺の環境も含めた地域全体を同様の概念でデザインすることで、新しい「共同体」の場を生み出そうとしたのだった。III「コーデノロジスト荒川修作」誕生の背景(1)少年期の戦争体験と初期作品荒川の作品を概観したところで、この考察の最初に示した問いに立ち返ってみよう。彼は「死なないため」を自身の活動の中心テーマとし、作品や著作を展開してきたのだが、なぜそれは、「生きるため」ではなかったのだろうか。すなわち、「生きるため」というより肯定的な表現ではなく、なぜ、「死なないため」という表現だったのだろうか。ここには彼の思想の原点となる重要な論点が隠されているように思われる。「死なないため」、すなわち、「死を回避する」という問題設定には、彼自身の個人的体験もさることながら、彼の生きた時代がもたらした共同的体験が少なからず要因として作用したのではないか。この発想の原点にあるのは、しばしば言及される書物でも哲学的思想でもなく、むしろ彼の生まれ育った現実的環境そのものにあったと考えられる。荒川は1936年、愛知県に生まれる。3年後の1939年第二次世界大戦が勃発し、1941年日本はアメリカと開戦。1945年敗戦をむかえる。つまり、荒川は3歳から9歳までの少年時代を、戦争のただなかで生きた。荒川もまた多くの同世代の子供たち同様に、間近に戦争を体験したのである。日本本土は東京だけではなく、地方都市も含め多くの都市がアメリカ軍からの空襲を受けたが、名古屋も例外ではなかった。東京ほど知られていないが、名古屋へのアメリカ軍の来襲機数は延べ5,200機、投下爆弾12,000発、焼夷弾1,000,000発以上であった。終戦まで続いた空襲の回数は、実に111回を数え、死者11,555人、重軽傷者14,565人とされる(24)。荒川が生まれた瑞穂区も繰り返し空爆を受けている。荒川はこれを避けるために、一時、学童疎開で岐阜県に避難しているが、名古屋市の資料によると空襲がひどくなった1944年8月から大々的に学童疎開が行われている(25)。疎開で名古屋を離れたにもかかわらず、荒川は「空襲で多くの死体を目撃し、人間の生命への関心が深まり、生とは何か、死とは何かに疑問をもつようになったという」(26)。空からいつ爆弾が降ってくるか、いつ死ぬかわからないなかで暮らした少年に与えた衝撃は大きなものだったろう。『棺桶』シリーズを荒川が最初に制作した直接の動機については、荒川は確かに戦争とは別の個人的体験による死を示唆していて(27)、むしろ戦争にかかる体験についてはあまり積極的に語ることをしていないようにさえ感じられる。戦争と死が結びつくことが、あまりにも安易で平凡なクリシェになると104