ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

荒川修作と21世紀の新しい価値の創造――日本、アジア、西洋を越えて――考えてのことか、あるいは、より普遍的哲学的「死」の概念を強調することを目論んだからか理由はわからない。いずれにしても、荒川は自身の作品に内在する死のイメージを直接的に戦争と結びつけてはいない。だが『棺桶』を何点も並べて展示すれば、それがただの個人の死ではなく多くの死を、すなわち、共同体の死を意味していることは誰もが容易に連想できるだろう。そしてその時代的背景を考慮するなら、根底には、やはり戦争での具体的体験が含まれていたと考えられるのであって(28)、となると、やがて荒川がその著作において明確に言葉として表現する「死なないためにNot to Die」という発想にも、戦禍での体験の反映を見出し得るのではないか。戦時には、「生きる」ことより、まずは「死なない」ことが差し迫った感覚であったはずだ。また同時に、「死なない」とは現在「生きている」現実をより強く実感させる言葉でもある。すでに見たように『棺桶』の作品に、生や再生のイメージが埋め込まれているとしたら、それは戦争で犠牲になった人々への鎮魂歌にも見える。荒川はのちに、『棺桶』シリーズが「天命反転箱」であることを認めているが(29)、戦争という場に居合わせた自らの「天命Destiny」から、それを反転するという発想が導かれ、生涯をつらぬく「死なないため」という最大のテーマになったと考えられるだろう。では、どの民族も地域の人も共有できる矢印や円、線といった記号的なものだけが構成要素として採用されている。『意味のメカニズム』が英語によるテクストで構成されているのは、さらに興味深い。荒川の場合、パートナーのマドリン・ギンズとの共作という点を考慮したとしても、簡易な英語によるテクストの導入は、世界を視野にした普遍性を保証するものだ。ティントレットやレオナルドといった西洋美術史における巨匠の引用も同様の意味をもつ。荒川の自画像がわずかに用いられた作品もあるものの(《12、意味の感情》)、東洋人の風貌が日本性を打ち出すわけでもなく、荒川以外は欧米人と思われる人々が採用されている。今日振りかえってこれらの作品を見ると、渡米後に展開された作品群は、日本やアジアといったローカル性を周到に隠ぺいし、欧米を視野にしたグローバル性を強く意識しているように見えるのである。しかしながらここでも、既存の価値の再検討を促し、その転換を示唆する問題意識は変わらない。『意味のメカニズム』のメインテーマは、まさにそこにあった。『棺桶』シリーズでは、「死」を「生」へ転換するという、つまり真逆のものへと価値の「反転」を図ったのだったが、『意味のメカニズム』ではレモンの例に見られたように、その過程をより詳細に検証するかのように、複雑で多層なかたちをもって、意味の変換、価値の変奏が示唆されている。(2)アメリカの要素ー西洋の伝統、普遍、グローバルこうした戦争体験もあってか、荒川は渡米前の1961年、すでに「人間救済」という問いを認識していたと、高橋幸次氏は荒川の言説をもとに指摘している。それによると、荒川は「現状としては、アウシュヴィッツ、ヒロシマ・ナガサキを現出したユートピア思考、モダニズムの限界と悲惨」を見据え、「普遍的なものによる救済という脱出時の希求」へ向ったと言う(30)。1961年の渡米で荒川が目指したのは、草間彌生や河原温ら同時期ニューヨークに移住したアーティスト同様、国際舞台での活動、世界的文脈での制作だったと考えられるが、渡米後に手がけた『図式絵画』のシリーズが、個別性やローカル性のない、いわば「普遍的」な図式で構成されている点に着目すると、その意図がよく理解されよう。これらの作品(3)日本の要素ー日本の伝統、戦中、戦後1979年、荒川は渡米から18年の歳月を経て日本に帰国するが、この頃から、次第に立体のインスタレーション作品へと向かい、1980年代を通してあたためられた構想は、1990年代になって、奈義町の《遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体》や養老町の《天命反転地》において結実する。それと同時に、これらの作品において顕著に見られるようになるのは、これまで周到に排除されてきたはずの日本的要素である。奈義町や養老町といった、日本に半永久的に設置する作品という制作の場所性はこれと大きく関連するだろう。日本のモティーフの採用は、日本の人びとに対し、よりメッセージを届けやすいことは明らかだからである。1880年代なかば以来、日本がおかれたバブル景気による社会的状況との関係も深い。高度経済成長を経て、建設ラッシュにわき、目105