ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALに見える変貌を遂げつつある日本をしばらくぶりに見た荒川にとって、日本の姿は複雑に映ったようだ。それは一方では賞賛すべきものであり、他方では、経済成長を遂げてなお、欧米に比し日本人をとりまく生活環境は嘆かわしいほど貧しいものに見えた(31)。荒川はとりわけ、いまだ貧困な住環境や都市環境の整備の遅れに愕然としたのであり、荒川が奈義町や養老町の作品から展開して、さらに実生活と結びつく住宅や都市計画へとその後構想を進めていくのは、日本の状況を「救済」するための提案と考えられる。ところで、前述したように奈義町の作品は、建築家の磯崎新とともに構想した建築構造物のなかに、作品が収められていた。龍安寺の庭園に似たイメージが2つ、対称的に置かれた構造は、まさにイメージの反映であり、反転であり、すなわち価値の反転を暗示する。またこの作品の内部に立つ人が、京都の龍安寺の庭を心の中に想起したとすれば、さらに3つのイメージが多層的に広がることになるだろう。その意味でここは、『意味のメカニズム』のレモンの主題を立体化した作品とも言える。実際の龍安寺と、荒川によるその現代版レプリカと、さらにその反映のような逆さの図像。私たちは、何が実態で本当であるのか、そのなかでは見失い、もはや、身体の感覚だけが、現実として残されるのである。それにしても、ここで不思議なのは、龍安寺の庭のレプリカを2つ内包するこの容器自体だ。「太陽」と説明されるコンクリートの円筒は、まるで、無骨な土木施設のようでもある。「太陽」といっても、それは真正面から見たときのみに見える姿で、むしろ少しでもずれた位置から見れば、あまり太陽のようには思われない。設計の経緯や意図がよく知られているために(32)、もはやこのイメージを疑うことは通常ないし、これに言及されてもこなかった。しかし、あえて言うなら丘の上に斜めに角度をつけて置かれたシリンダー状の姿は、筆者には太陽というよりも巨大な大砲のように見える。奈義の現代美術館は、その周辺にとり立てて大きな建物もないことから、わずかに空を向いて設置されたこの円筒形の姿は、周辺の自然豊かな景色のなかでは際立って威圧的で、今にもそこから砲弾が放たれそうでもある。コンクリートの素気ない外観には、巨大な土木施設の建設ラッシュであった当時の日本の状況と大砲のイメージとが重なり合って示されているようで、荒川の何らかのメッセージを感じるのである。これに続く養老町の作品についてもまた筆者には、別のイメージが内包されているように見えて仕方ない。本作品の概観や内部の要素については、荒川自身による解説をはじめ、これまで多くの人が詳しく語ってきており(33)、これらは、そのテーマパークのような外観とあいまって、作品の意図を限定してきた。たしかに本作品は、起伏に富んだ構造物によって、この場に置かれた人が、身体を駆使し、死なないための訓練をする場所であるのだろう。だがそれだけではなく、ここにも戦争のイメージが密かに内包されているように思われるのである。日本庭園をも想起する情景は、そもそも、そのすり鉢状の大きな空間になっていることから、巨大な爆弾の落ちた痕跡を暗示するものになってはいないか。すり鉢の中を彩る歪んだ日本列島のイメージや地図、傾いた家や構造物。それは、平和な未来の広がるのんきな場ではなく、まるで原爆の落ちた跡のようでもある。各所に散りばめられた丸い盛土は、小古墳を連想させ墓のようにも見える。この作品では、その深いすり鉢状のカーブによって、見学者が怪我をする問題も生じたが、内部に立ち入ると、出るのが容易ではない部分も多い。まさに、身体を用心深く駆使して、ようやくこの穴から私たちは這い上がることができるのだ。こうしてみると、日本で展開された作品では、日本の伝統を想起する要素が目に見える形で明確に提示されている一方で、戦争を体験した過去の日本、バブル経済に踊る同時代の日本といった要素が、同時に暗示されていると見ることもできるのではないか。(4)東洋と西洋を超えて以上にみてきたように、荒川の作品は、前半と後半では、西洋から日本へと大きくそのまなざしをシフトしているが、しかしながらこれはただの日本回帰などではない。そこに見出せるのは、荒川が、日本から欧米を、欧米から日本を見渡し、東洋と西洋の間をつねに往来することで実現しようとした、新たな価値の創造にかかるひとつの過程である。この点については、荒川とマドリン・ギンズの著作『ヘレン・ケラーまたは荒川修作』における、とくに第6章「わたしからわたしへ、あるいは東から東へ」に、その手がかりが示されている(34)。この106