ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

荒川修作と21世紀の新しい価値の創造――日本、アジア、西洋を越えて――章では、「浅間丸にのり、日本に向かう」ヘレン・ケラーがイメージされているが、そこには太平洋を挟んで、東洋と西洋を両手に見、その狭間にある荒川の姿が見出せる。荒川は以下のように問いかける。「あの船は何度海を越えたのか。四回か五回。そして、どこであの旅は終わったのか?どのくらいかかったのか?なんのためだったのか?」(35)それは、荒川自身による、日本とアメリカの往復を示すと同時に、東洋と西洋を往来する思考についての問いかけと読めるだろう。桜、徳川公、小津、岡倉天心、茶の湯といった日本固有の文化を次々と引き合いに出しつつ進められる文章で、中心となっているテーマは、いまだ東洋に目をむけようとしない欧米に対するいらだちと、いまだ西洋にばかり目をむける日本に対してのジレンマである。本章のなかの岡倉天心の『茶の本』(1906)からの引用は、それをもっともよく表わしている。「『いつになったら西洋は、西洋でないものを理解するのだろうか。理解しようとするのだろうか。』『われわれはあなた方の文化の深いところまで洞察するには至っていないが、すくなくとも喜んで学ぼうとしている。(中略)それはひざまずいて西洋に近づこうとするわれわれの意欲を示している。不幸なことに、西洋の態度は西洋でないもの(ノン・ウエスト)を理解するのに好ましいものではない。』」(36)ここでは荒川自身が、日本に渡る船上で、岡倉の本を読んでいる想定となっているが、過去の問題としてではなく、岡倉を通じ、現在における自身の見解を語っているのだろう。そして自身の言葉として、以下のように語る。「世界―それは、わたしが永遠に信頼し続けていこうと思っているものだ。(中略)日本でも、昔ながらの文化と近代というものが相克しているようだ。若者も老人も同じように、この拮抗する二つの力に翻弄されているようだが、もし自国の文化を保持するつもりなら、この二つの力を早急に理解しなければならないだろう。」(37)だが他方では、異文化受容の難しさについても述べている。「ごく最近になって、ある一つの文化が接触して変容することについて、次のような意見を持つようになった。視力と聴力も備わっている人びとの世界で盲聾者が経験することは、見知らぬ島に流れついた船乗りが経験することと同じだ。そこに住む人々は、彼の知らない言葉を話し、いままでの彼の生活とは異なったやり方で生活を営んでいる。彼は一人、相手は大勢である。したがって、互いに妥協しあうことなどありえない。その人たちの目で見て、耳で聞き、同じように考え、その理想とするものをめざさなければならないのである。」(38)以上は、荒川のアメリカでの実体験を示しているようにも読めるが、さらに、以下のような文章も見出せる。「現代の精神医学を代表する精神科医である中井久夫によれば、分裂症と診断される患者の多くは強烈なカルチャー・ショックで苦しんでいるにすぎないということだ」(39)。本章でさらに興味深いことは、これらの異文化接触の問題を語りつつ、今、荒川とともに日本に向かう船に同乗するのは、ヘレン・ケラーであり、ニールス・ボーア(1885―1962)であるということだ。これについては、拙論ですでに述べたので詳しくは語らないが(40)、視聴覚障害者であったヘレン・ケラーが、「身体」の感覚を研ぎ澄ませることを課題とした荒川の「建築する身体」と深くかかわっていることは明白である。またニールス・ボーアは、実際に日本に来日したこともあるデンマークの物理学者で、量子論の研究においてノーベル賞を受賞しているが、その研究が原子爆弾に応用されたことを危惧し、日本への原爆投下を阻止する活動を行った人物でもあった(41)。荒川は本章で、太平洋に「電子の滝」を見ており、物理学への関心を示す。だが同時にボーアが引用されるのは、原爆を示唆するためでもあろう。岡倉をふたたび引用しつつ、荒川は以下のように語る。「岡倉は主張する。『いつになったら西洋は、西洋でないものを理解するのだろうか。理解しようとするのだろうか。(中略)西洋でないものの諸文化を蔑ろにして顧みないなら、どんな悲惨な結果が人類に及ぶことだろう。』(これは、ヒロシマ以前に書かれたものだ!)」。ここで「ヒロシマ」を付け加えたところは重要だろう。また、彼らの乗る船が浅間丸であることも見逃せない。浅間丸は太平洋戦争と深くかかわる船で、1940年房総半島沖を航行中にイギリス海軍の巡洋艦から臨検されたことが(42)、日本の開戦のきっかけのひとつになったといわれている。また1944年には、アメリカの潜水艦からの魚雷により沈没しており(43)、まさに太平洋戦争を象徴する。この章を締めくくる言説は、荒川の創造の原点を107