ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALるのではなく、この小説に出てくる「影」にある(2)。科学の知識、特に心理学の知見からは「影」はどんなような存在になるだろうか。そして文学には「影」はどんな意義を持つだろうか。『門』における「影」『門』は明治43年の3月から6月まで大阪と東京の朝日新聞に連載された。これは朝鮮合併(43年8月29日)の数か月前のことで、朝鮮独立運動の活動家による明治42年の伊藤博文暗殺事件が実際に小説の中で話題になる。『門』の世界はさまざまな影に取りつかれている。アジア大陸と帝国主義の影があり、近代的な資本主義の経済の影もある。そして主人公の宗助とその妻御米の個人的な過去、昔その友人を裏切ったという過去も夫婦の現在に暗い影を及ぼしている。このように『門』は実に影が多い作品である。例えば冒頭の近くに、宗助と御米の崖の下の借家が描かれている(3)。「南が玄関で塞がれているので、突き当りの障子が、日向から急に這入って来た眸には、うそ寒く映った。其所を開けると、廂に逼る様な勾配の崖が、縁鼻から聳えているので、朝の内は当って然るべき筈の日も容易に影を落さない。」(一の二)ところで、この文章に出てくる「影」という言葉は読者の頭の中にどんなイメージを呼び起こすだろうか。この「影」は光を指すのか、それとも崖が作る闇を指すのか。小説の物語が展開するにつれ、読者はさらに頻繁に「影」に出会う。例えば、宗助と御米の過去が彼らの現在を曇らす影になっていることが何度も示唆されている。例えば、以下のような文章がある。「宗助と御米の一生を暗く彩どった関係は、二人の影を薄くして、幽霊の様な思を何所かに抱かしめた。彼等は自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが潜んでいるのを、仄かに自覚しながら、わざと知らぬ顔に互と向き合って年を過した。」(一七の一)この文章の「影」も曖昧だ。彼らの過去はある意味で暗い影になっていて、そしてその過去が「二人の影を薄くして」いる。この「二人の影」は読者の頭の中にどんなイメージを呼ぶだろう。光が遮られたところの暗さ、つまり英語でいうshadowのことだろうか。あるいは、「撮影」の影、英語で言うとimageということか。(「結核性の恐ろしいもの」も肺の影であるが。)そしてこの「影」を文学の問題としてだけではなく、心理学の問題として考えるとき、何が見えてくるだろう。ここで結論を先に述べておくと、漱石が理解していた心理学の下では、健康的な意識とは流動的で絶え間なく流れ続くもので、いわゆる「意識のながれ」である。そして、とくに『門』では「影」とは病的なもので、その意識の流れを邪魔し、滞らせるものである。「影」が現れると、混乱や不安が出現し、意識がうまく過去から現在まで、そして現在から将来へ流れなくなってしまう。「影」は結局病の原因になる。例えば、宗助と御米が直面している危機を描く次のような文章がある。「二人の間には諦めとか、忍耐とか云うものが断えず動いていたが、未来とか希望と云うものの影はほとんど射さない様に見えた。彼等は余り多く過去を語らなかった。時としては申し合わせた様に、それを回避する風さえあった。」(四の五)面白いことに、『門』の英訳者のひとりフランシス・マシーはこの文章の「希望と云うものの影」を英語で「ray of hope」にした(4)。つまり、「影」はここで光の欠如ではなくて、光そのものを意味するように翻訳されている。硯友社の『新和英大辞典』で「影」の項目をみると、五つの英語の言葉がで出てくる――a shadow,light, a reflection, an image, a trace。他の和英辞典を見ると、さらにいくつかの英語の単語に出会う――silhouette, phantom, figure, sign。実は、『門』では、「影」という言葉はこれらの複数の意味を全部内臓している。そして漱石の心理学論を理解するために、これらの「影」はとても良い手がかりになる。12