ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

手を切断されるユダヤ人――ビザンティン聖堂装飾「聖母の眠り」図に描かれた反ユダヤ的モティーフについて――する。愚かなる不信心者のユダヤ人達は……穢れなき遺体を辱めようとした。……しかし直ちに彼の腕は切り落とされ、常にキリストへの激しい敵対者であるユダヤ人達への恐るべき見せしめとなった。(コンスタンティノポリス総主教ゲルマノス(7世紀中頃- 8世紀前半)による説教) (9)神聖にして偉大なる我らが神、キリストの御顔を打ったカイアファの僕と同じく、罪の虜となったあるユダヤ人が、至聖なる器(たる遺体)に襲い掛かり、棺をひっくり返そうとした……その結果、彼の腕は血に染まり、失われることとなった。(ダマスカス大主教ヨアンニス(676年頃- 749年)による説教) (10)「眠り」図像におけるユダヤ人モティーフについてでは「眠り」の図像化に際し、本エピソードはいかに描かれたか。説話では複数人の場合もあったユダヤ人は、絵画中では例外なく一人だけであり、これを伝統的にイェフォニアスなる名で呼ぶ。エプスタインは、カッパドキア、ウフララに建つ11世紀のユランル・キリセの「眠り」に描かれるユダヤ人イェフォニアスが現存最古の例とする(11)。その他の古い作例は、筆者が12世紀前半、あるいはそれ以前に成立した考えるカストリアのパナギア・マヴリオティッサ修道院、また1294年から95年の作であるマケドニア、オフリドのパナギア・ペリブレプトス聖堂が挙げられる。ここでパナギア・マヴリオティッサの作例をもとにモティーフを確認しよう(図1、2)。本聖堂の装飾成立年代は研究者により11世紀から13世紀まで幅があるが(12)、筆者はより古い「眠り」の特徴であるマンドルラの描かれないキリストの表現から、本作を12世紀前半より以前の作であると考えている。中央にベッドに横たわるマリアと赤ん坊の姿をしたマリアの魂を抱くキリストが描かれ、その左右に使徒と天使が立つという定型表現を採る。論点であるユダヤ人は、ベッドの手前に描かれる。テサロニキのヨアンニスの説教では手が萎えて動かなくなった、と語られたが、図像では剣を抜いた天使と共に描かれ、切断された手もしくは上腕部がベッドにへばりついている、という構図が定型である。萎えて動かなくなったという表現は絵画表現上困難があったと思われるが、よりユダヤ人への罰が視覚的に明らかな表現が採用されたとも捉えられよう。ユダヤ人モティーフについては、先行研究で幾つかの言及があるものの、ビザンティン美術の研究史上では未だ「聖母の眠り」そのものの研究が多くない。従ってその中の一モティーフであるイェフォニアスへの考察が十分であるとは言えない。ビザンティン美術におけるユダヤ人イメージを概観したレヴェル=ネヘルは、キリストを裁くユダヤの大祭司カイアファなどと共に「ネガティヴなキャラクター」の一つとしてイェフォニアスを挙げる(13)。しかしその言及において具体的な図像は提示されず、論考も概説的なものに留まる。オフリドのパナギア・ペリブレプトス聖堂の「眠り」について論じたゴンザレスはイェフォニアスの典拠となった外典を考察しているが、全般にイメージと典拠の関係を論じたものであり、イェフォニアスそのものについて特段の注意を払ってはいない(14)。イェフォニアスの姿は、雲に乗って飛来する使徒などと同様に、エピソードの単純な絵画化として看過されてきた感がある。そのような中エプスタインは本モティーフに同時代的な説明を求め、十字軍と関連した積極的な動機が見出せる可能性を提示した(15)。次節ではエプスタインの論を検討した後、その論をさらに敷衍できるか考えたい。イェフォニアスと反ユダヤ主義についてエプスタインはギリシア北部、カストリアのパナギア・マヴリオティッサ修道院の「聖母の眠り」図を取り上げ、イェフォニアスと反ユダヤ主義とを併せて考察する試みを行っている。本聖堂の壁画成立年代を12世紀初めとし、聖堂本堂に描かれた「眠り」のユダヤ人と、玄ナルテクス関廊に描かれた「最後の審判」図に、1096年に起きた第一回十字軍による混乱の影響が指摘されている(16)。エプスタインによれば、第一回十字軍の軍勢の一部は聖地に向かう途中カストリア周囲を通過し、その際に当地の人の心理に影響を与えた。十字軍は第一にイェルサレムを奪還しムスリムを討つことを目的としていたが、同時に彼らの一部は、異教徒全てに対し強い敵意を向けており、とりわけユダヤ人がその対象になっていたと言145