ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ページ
15/542

このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている15ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

影の下の家―夏目漱石『門』と意識の流れ―漱石と新心理学まず漱石自身の心理学との関係について簡単に触れておきたい(5)。漱石は明治43年から45年までロンドンに留学していた間、『文学論』を書くための研究を始めた。『文学論』の目的は「文学」というものを科学的に定義することであり、漱石はどの時代でも、どの国にでも通じるような普遍的で科学的な文学理論を構築しようとしていた。漱石によると、文学を理解したければ、文学以外の視点が必要である。『文学論』の「序」の言葉を借りるなら、「文学書を読んで文学の如何なるものなるかを知らんとするは血を以て血を洗うが如き手段」である。文学を理解するため、漱石は文学以外の視点として科学、特に心理学と社会学を選んだ。漱石が心理学という学問に初めて出会ったのは、明治20年代で、彼が東京帝国大学で元良勇次郎の講義を聞いた時であった。当時漱石はアレクサンダー・ベインをはじめとする19世紀の代表的な心理学者について学んだ(6)。しかし20世紀の冒頭に漱石がその『文学論』の準備のために本格的に心理学研究を始めた時には新しい世代の心理学が出ていた。この新しい世代の心理学者は19世紀の心理学者の立場とは一線を画しようとしており、ロンドンで漱石が読んだのは、主にこのいわゆる「新心理学」であった(7)。『文学論』での漱石の基本的な立場は、科学と区別をつけることによって、文学の本質を定義しようというものである。つまり、漱石にとって文学とは科学でないものを意味する。面白いことに、漱石が読んでいた新心理学は、自らの存在を固い意味での科学として定着させるために、心理学と「文学」をきっぱり区別しようとしていた。学問としての心理学の起源は哲学にあり広い意味での文学にあった。しかし心理学が近代的な科学に仲間入りするためには、文学との縁を切る必要があった。「科学的」な知識と見做されるために、心理学は方法論的に厳しくなり、実験室で精密に測定する現象だけを研究の対象として認め、そしてその結果は数字や統計的なデーターとして証明しなければならなかった。このように、近代的な科学として自分の位置を固めるために、特に文学という非科学的な領域から自らを区別することが急務だった。例えば、この時代の科学的心理学の開拓者の一人である英国人フランシス・ガルトンの業績を、その弟子シリル・バートが評価している次のような文章がある。「氏が個人心理学の分野に着手した時、それはただ詩人や小説家、伝記作者、藪医者、詐欺師などにとっての夢想的な課題でしかなかった。しかし、氏が次の世代に席を譲る時までには、それは真っ当な自然科学の専攻の一つに変身していた。」(8)この文が示唆するように、心理学の起源は文学の領域、とくに哲学にある、初期の心理学者は大学の哲学科に席をおいていた。つまり自分の心のなかで考えていることについて考え出した人々が心理学の祖であり、そして自分の内面を観察すること、内観や内省という方法が心理学の学問としての第一歩であった。しかし20世紀の冒頭に、この内観という方法を否定する傾向が現れた。なぜかと言うと、一人の意識を内観することは実験で確認することが難しい上、精密に測定することもできないからである。つまり、内観は方法としてあまりにも文学的なものなので、非科学的であるということだ。この新心理学の三つの特徴をここでまとめておきたい。一つ目の特徴は、19世紀の心理学は内観(introspection)を重要な方法として利用していたが、20世紀の新心理学は主にそれを否定して、実験室で精密に測定できるような、数字で表すデータだけを科学的と認めるようになったことである。例えば、漱石はドイツ人の心理学者ヴィルヘルム・ヴントの『生理学的心理学の原理』の英訳を読んでいるが、その中でヴントは「この件に関して、心理学をただ自己内省や哲学的な前提によって取り扱うことに対して異を立てる」と断言している(9)。心理学史においてヴント自身は過渡的な存在であり、実は実験室の中である程度は内観を方法として認めたが、当時の新心理学の研究書を見ると、内観を科学的方法として強く否定する例によく出会う(10)。二つ目の特徴は、以前の心理学が持っていた二元論的な立場を否定したことである。つまり、19世紀の心理学において、人間の心理学的な経験は二つの次元に分かれ、内面と外界、あるいは心と身体を区別していた。しかし、新心理学によると、この二13