ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALような直接的行動は見られなかったと考えられる。ポリアコフはニュッサのグレゴリウスらギリシア教父がユダヤ人を痛烈に罵倒している例を挙げて、ビザンティンでもユダヤ人が置かれていた立場が悪かった証拠とするが(27)、これは弁舌において敵を罵倒したということであり、反ユダヤの感情というよりレトリックの定型と考えるべきであろう。先述した第4ラテラノ公会議についても、正教側聖職者は招聘されたものの参加はしなかった。ホーローはビザンティン帝国におけるユダヤ人の経済活動を論じた中で(28)、12世紀以降も帝国内でユダヤ人が主に商業分野で活躍し続けていたことを述べている。地中海で勢力を伸ばしつつあったイタリア都市国家の商人と渡り合う存在であったことが、指摘されている。西欧とビザンティンの違いの原因については、推測ではあるが常にイスラム勢力と対面し続けているというビザンティン帝国の置かれた状況に見出せるのではないか。戦争を繰り返す脅威としての異教徒が眼前に控えている状況では、ユダヤ人と対決し、国内の政治・経済を混乱させる積極的理由は少なかったと考えられよう。一般民衆にとっても、イスラム教徒の代わりを求めたドイツ人とは立場が全く違ったといえる。またユダヤ人商人は、イスラム世界とキリスト教世界の間に立って交易を行うことも多く、この意味でユダヤ人の立場はキリスト教徒が容易に取って変わることのできないものであったと思われる。「眠り」図像に見る西欧の影響ビザンティン帝国で比較的にせよ反ユダヤの動きが少なかったと考えられるのであるから、「眠り」におけるユダヤ人モティーフが、帝国内からの要求よりも、西欧からの影響のもとに広まったのだと想像することが可能だろう。後期、特に14世紀に入りイェフォニアスが描かれるようになるのは、ラテラノ公会議以降の西欧の流れと一致するようにも思われる。後期、ポスト・ビザンティン期に入り「眠り」に「聖母被昇天」モティーフが加えられるようになることは、「眠り」のイメージにおける西欧からの影響を示すもう一つの傍証となる。マリアの臨終の3日後に起こったとされる「聖母被昇天」は、マリアの肉体の被昇天を支持しない正教では本来一般的なものではなかった。一方、西欧では「聖母の眠り」よりむしろ「聖母被昇天」の方が説話としても好まれ、正教では8月15日を「眠り」の祝祭日とするのに対し、カトリックでは同じ8月15日を「聖母被昇天」の祝日とする。この西欧的イメージが「眠り」の上方に描かれる作例が、やはり後期に見られ始め、ポスト期には少なくない数が現存する。「聖母被昇天」の際、天に昇るマリアを目撃した使徒トマスが、マリアに対しこの奇跡の証を求め、彼女はそれに応じ腰帯を投げてよこした、というエピソードが伝えられる。ビザンティンで描かれた「被昇天」図にも腰帯を受け取るトマスのイメージも加えられることがあり、これは13世紀にイタリアの都市プラートが街を守護する聖遺物としてのマリアの腰帯を大いに宣伝したことと関連があるかもしれない(29)。13世紀末の、西欧の反ユダヤ主義が少し遅れて流入したといえる時期にユダヤ人モティーフを描いたのがミハイルとエウティキオスの二人組である(図6 - 9)。彼らはまた、セルビア王国の王ステファン・ウロシュ2世ミルティン(位1282-1321)の庇護厚かったことが知られている。セルビア王国は、当時政治・文化的にビザンティンの影響から脱しつつあった。二人組が内部を装飾した聖堂も、外観は西欧のロマネスク風であり、彼らが西欧の影響を受けやすい立場にあったことを間接的ではあるが示している。オフリドやスタロ・ナゴリチャネの作例では、腰帯を受け取るトマスもまた描かれている点からも彼らへの西欧の影響は明らかである。説話をより細かく描き出そうとする同時代的な絵画の風潮とも相まって、聖堂装飾のモティーフとしては特異な「手を切り落とされるユダヤ人」を描くことに繋がったのではないかと考えられる。二人組の作の特徴として、ユダヤ人を小さなプロポーションで描かず、周りの群衆と同サイズで描いている。ユダヤ人への罰をよりはっきりと描こうとしたものか、プロポーションが違う不自然な人物像を描くことを嫌ったのか、判断は難しい。しかし結果的にはベッドの手前中央に個別的モティーフとして描かれる作例に比べ、群衆に紛れてしまい目立たない存在になっているようには思われる。「聖母の眠り」図が反ユダヤ的図像としての性格を持ち得る図像であったことも指摘できよう。聖母マリアとはユダヤ人に息子を殺された母親であり、148