ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ページ
151/542

このページは RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌 の電子ブックに掲載されている151ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

手を切断されるユダヤ人――ビザンティン聖堂装飾「聖母の眠り」図に描かれた反ユダヤ的モティーフについて――また初期キリスト教時代にはユダヤ教のラビから度々その処女懐胎について疑義を呈されていた(30)。従って、マリアとユダヤ人が共に描かれているとき、それを見るキリスト教徒は、マリアを悲しませ、侮辱した存在としてのユダヤ人を想起することになっただろう。そして死後のマリアに今一度不敬を行おうとしたユダヤ人イェフォニアスには、手を切り落とされるという裁きが加えられる。これも古代、中世の価値観から見れば、盗みを働いた者が右手を切り落とされる如く、マリアの棺に触れるという不敬を働いた手が切り落とされるのは当然の罰と思われたのではないだろうか。一方で、ビザンティン期にはユダヤ人モティーフが必ずしも一般的とならなかったことが、オフリドにおいて指摘できる。先述したミハイルとエウティキオスの現存最初の作例がオフリドの1294/95年作のパナギア・ペリブレプトス聖堂であるが、オフリドの中でも規模の大きなこの先例があるにも拘わらず、14世紀に建てられた他の複数の聖堂はそれを踏襲していない(図10、11) (31)。これはまだ西欧ほど反ユダヤを強調しようとする思想が大きくなかったことを傍証すると思われる。ポスト・ビザンティン期に入ると、正教のイコンにもルネサンス風の作例が見られるなど、ビザンティン美術への西欧からの影響は明らかなものとなる。ユダヤ人モティーフについても後期に比べ頻出するようになる。西欧では反ユダヤ主義は既に当然のものとなっており、そのような時代にあっては、イェフォニアスが積極的に描かれるようになるのは当然の流れだったと言えるだろう。結以上、「聖母の眠り」図に登場するユダヤ人モティーフについて考察をおこなった。本稿では「眠り」というビザンティン美術では比較的ポピュラーな主題に、反ユダヤ主義の拡大という歴史的事象が影響を及ぼしている可能性を指摘した。中期ビザンティンでは稀有だった手を切断されるユダヤ人イェフォニアスのモティーフは、後期、ポスト期と経るに従い登場の頻度を増す。それと時を同じくするように、西欧では第4ラテラノ公会議を期に、反ユダヤ主義が大きな流れとなっていた。ビザンティン帝国では西欧と比較して反ユダヤの動きは強くなかったと考えられるものの、イメージの世界にその影響が認められる興味深い事例と思われる。ただし、イェフォニアスには西欧でユダヤ人のステレオタイプとなる尖った帽子などは付与されることなく、その点では完全に西欧の反ユダヤ主義モティーフと同一のものとなったとすることはできないだろう。また近代の一部作例は、ターバンらしきものを頭部に巻くため(図12)、これはユダヤではなくムスリムを示しており、イェフォニアスが広く異教の象徴と捉えられていた可能性も示唆される。聖山アトスの修道院に描かれたポスト・ビザンティン期の壁画にもイェフォニアスは描かれるが(32)、一般社会と隔絶したアトス山の修道士が反ユダヤ的運動と繋がりがあったとは思えず、もはや定型化した絵画中の一モティーフとしての性格が強いものと言える。しかし手を切断されるという聖堂装飾の中でも異様なモティーフは、マリアのひざ元という配置からも否応なくキリストに敵対したユダヤ人とその罰というイメージが喚起されるだろう。パナギア・ペリブレプトス聖堂の、顔を削り取られたイェフォニアスは、ユダヤ人への否定的な感情が確かにあったことを物語っている。それはあまり世に知られてはいないながら、イェフォニアスが反ユダヤ主義というヨーロッパの暗い一側面を示す証人の一人であるとことを示しているといえる。同時に、ビザンティンの聖堂壁画のように定型を長く維持し続けるような図像であっても、時に同時代的、社会的な影響を受ける可能性もまた見ることができることも示しているのである。[附記]本稿は日本ビザンツ学会第11回大会(2013年3月30日、於早稲田大学)における口頭発表に加筆修正したものである。図版出典図1 S. Pelekanidis, M. Chatzidakis, Kastoria,Athens, 1985, p.75.図4菅原裕文氏(金沢大学)撮影図2-3、図5-12筆者撮影注?反ユダヤ主義的イメージについては以下を参照。P. Berger,“The Roots of Anti-Semitism inMedieval Visual Imagery: an Overview,”Religion149