ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALが魚と植物の双方を生み出す図像を用いる感覚を推し量ろうとすると、当時の世界の捉え方に思いが及ぶ。ローマの詩人ウェルギリウス(前70-前19年)は万物の父オケアノスと、地下でこれとつながるすべての川について語った。かつて、世界中の川、泉、湖はオケアノスが水源とされていた(53)。あらゆる水を供給するのはオケアノスであり、その水が地下を通り、やがて野山を潤す流れや湧水となった。世界に対するこのような意識は、おそらくは洗礼について語る教父にも影響し、植物の起点となるオケアノスの柱頭彫刻が作られた5-6世紀に至るまで、様々な美術作品を支え続けたと推測される。無論、こうした作例がかつての意味を失い、単なる装飾と化していた可能性もあるが、水と生命に関連したタラッサやゲーが身廊の重要な位置を占めることから、本来の意味内容はまだ保持されていたとも想像される。教父たちの踏みしめる地面やこれらのモティーフが配された聖堂の下には、まだオケアノスの水脈が通っていた可能性があると言えよう。タラッサとゲーは、オケアノスから発した生命の流れを汲み、その展開として豊富な魚や果実がもたらされる。マダバの図像において、魚と中央の女性像との関係は不明瞭であるが、本来はシリアのテテュスや海を背景としたオケアノスの頭部のように、彼女の元から魚が泳ぎ出る表現だった可能性がある。生命力豊富な海として、そして身を浸す者を浄化し、新たな生命を与える水として、このメダイヨンは聖堂の床の中心を占める。初期の聖堂において、水の表現は不可欠と言える。湧水や植物の生え出るアンフォラ等の両脇に、孔雀に代表される鳥や鹿を配した「生命の泉」図像は、その代表的なものであり、聖使徒聖堂では身廊の東西に置かれたパネルにこの表現が見られる。「タラッサ」のメダイヨンも、命を育む水の表現のひとつに位置づけることができよう。オケアノスを配した洗礼槽も確認されているが、海や水を想起させる図像のうち、聖使徒聖堂に置かれたのが女性像のタラッサであることに理由を見出すとすれば、生命を「生む」イメージの強調であろうか(54)。再生を願う人々はこのメダイヨンの中に立つ時、実際に水があるものとして、身を浸すような感覚を得たのかもしれないが、どちらの考えも憶測の域を出るものではない。オケアノスの一面である、植物を育み豊穣をもたらす部分は別の図像、すなわち葡萄蔓草をモティーフとした作例に代表される、生い茂る葉や果実に満ちたディオニュソス的な主題へと連鎖する。水に関しては、オケアノスやテテュス、タラッサと同様、繰り返し表される主題として、ナイル河とその流域の風物を扱ったものが挙げられる。これらは初期の聖堂装飾において重要な主題となっている。さらに、水を用いた儀式の場である、洗礼堂の装飾についても検討が必要である。以上の題材を今後の課題としたい。図版出典図1,3,10,11: Piccirillo, Michele, The Mosaics of Jordan,Amman, 1993図2: Piccirillo, Michele, Madaba: Le chiese e i mosaici,Torino, 1989図4: Art Treasures of Turkey: Circulated by the SmithsonianInstitution, 1966-1968, exh. cat., Washington D. C., 1966図5: Stiftung Koradi/Berger, Zurich, 1989図6: Ed. by Stillwell, Richard, Antioch-on-the-Orontes, 3,Princeton, 1941, pl. 48図7,9:早稲田大学文学学術院益田朋幸教授撮影図8:大英博物館ウェブサイト(The Great Dish from theMildenhall treasure)註(1) 1880年、古代都市の遺跡に入った遊牧民が偶然床モザイクを発見したことに始まる。以後、ヨルダンの他の地域でも発掘が開始された。Piccirillo, Michele,“The Mosaicsof Jordan,”Near Eastern Archaeology: A Reader, ed. byRichard, Suzanne, Winona Lake, 2003, p. 205.(2)ウム・アル=ラサスの主教セルギオスの聖堂では、身廊の大部分を占めるインハビテッド・スクロールの東側中央に舵を持ったアビス(深淵)、西側に果物の入った布を手にするゲー(大地)が表されていた。同地域の「河の聖堂」にもアビスに類似した図像があったとされる。Piccirillo, Michele, Madaba: Le chiese e i mosaici〔以下Madabaと略記〕, Torino, 1989, p. 279; Idem, The Mosaicsof Jordan〔以下Jordanと略記〕, Amman, 1993, p. 234,pp. 240-241; Hachlili, Rachel, Ancient Mosaic Pavements:Themes, Issues, and Trends: Selected Studies, Leiden/Boston,2009, p. 180.(3) Piccirillo, Madaba, pp. 96-103.(4) Lux, Ute,“Die Apostel-Kirche in M?deba,”Zeitschrift164