ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

水に生まれる―マダバの聖使徒聖堂「タラッサ」のメダイヨンと銘文―des Deutschen Palastina- Vereins, 84(1968), p. 107; Piccirillo,Madaba, p. 104.(5)辻佐保子『古典世界からキリスト教世界へ―舗床モザイクをめぐる試論―』岩波書店、1982年、196頁。地となる文様に別の絵をはめ込んだモザイクの場合、それぞれを異なる作り手が担当し、例えば卓越した作り手がメダイヨンを、それ以外の部分を別の職人が手掛ける方法も考えられる。Dunbabin, Katherine M. D., Mosaics of theGreek and Roman World, Cambridge, 1999(Reprint, 2006),p. 29.(6)筆者試訳。Κ[ΥΡΙ]ΕΟΘ[ΕΟ]ΣΟΠΟΙΗΣΑΣΤΟΝΟΥΡΑΝΟΝΚΑΙΤΗΝΓΗΝΔΟΣΖΩΗΝΑΝΑΣΤΑΣΙΩΚΑΙΘΩΜΑΚ[ΑΙ]ΘΕΟΔΩΡΑΚΑΙΣΑΛΑΜΑΝΙΟΥΨΗΦ…Kiilerich, Bente,“Visual andFunctional Aspects of Inscriptions in Early ChurchFloors,”Inscriptions in Liturgical Spaces, ser. Acta adArchaeologiam et Artium Historiam Pertinentia, 24,Roma, 2011, p. 56.ここではキーレリヒの訳に準じた。多くの研究者も同様の解釈であるが、細部に差異が見られる。最初にこの銘文を訳したヴァンサン、およびピッチリッロはサラマニオスの部分を制作者の署名として読んだ。Vincent, H.,“Chronique,”Revue Biblique Internationale,1902, Jerusalem, p. 599; Piccirillo, Madaba, p. 105;Idem, Jordan, p. 106.ハントは名を記した全員がモザイク作者である可能性を示した。Hunt, Lucy-Anne,“The ByzantineMosaics of Jordan in Context: Remarks on Imagery,Donors and Mosaicists,”Palestine Exploration Quarterly,126 (1994), pp. 121-122.(7)銘文に「海」にあたる言葉を含み、モザイクにも海が表された例として、ギリシアのニコポリスで見つかった聖ドメティオスの聖堂、北翼廊の床モザイクが挙げられる。この作例では擬人像は用いられておらず、様々な魚の泳ぐ、海と思われる装飾帯が鳥と果樹のパネルを囲む。ここに記された銘文は「名高く果てしない大洋を(’Ωχεαν?ν)…」という言葉に始まる。Kitzinger, Ernst,“Studies on Late Antique and Early Byzantine FloorMosaics I. Mosaics at Nikopolis,”Dumbarton Oaks Papers,6 (1951), pp. 101-102.(8) Saller, Sylvester J., Bagatti, Bellarmino, The Town ofNebo (Khirbet el-Mekhayyat) : with a Brief Survey of OtherAncient Christian Monuments in Transjordan, Jerusalem,1949(Reprint, 1982), p. 179; Drewer, Lois,“Fishermanand Fish Pond: From the Sea of Sin to the LivingWaters,”The Art Bulletin, 63-4 (1981), pp. 541-542.(9)辻、前掲書、256頁。(10) Piccirillo, Madaba, p. 105; Kiilerich, op. cit., pp. 55-56;Maguire, Henry, Nectar and Illusion: Nature in ByzantineArt and Literature, New York, 2012, p. 21.(11)プリニウス『プリニウスの博物誌』1、中野忠雄他訳、雄山閣、1986年、394頁(第9巻1: 2)。(12)様々な生き物が生息する豊かな海の表現として、チュニジアのスースで出土した、漁の風景を表したモザイク等が挙げられる。Blanchard-Lemee, Michele, Mosaics ofRoman Africa: Floor Mosaics from Tunisia, 1996, NewYork, p. 122.(13)テルトゥリアヌス「洗礼について」佐藤吉昭訳、『中世思想原典集成4初期ラテン教父』上智大学中世思想研究所、1999年、43頁(第3章4)。(14) Tethysはオケアノスの妻、Thetisは海の精ネレイデスの一人で英雄アキレウスの母である。両者が古くから混同される傾向にあったことをウェイジスが指摘している。Wages, Sara M.,“A Note on the Dumbarton Oaks“TethysMosaic”,”Dumbarton Oaks Papers, 40 (1986), p. 126.(15) Piccirillo, Madaba, p. 104.(16)例えばアンティオキア、「カレンダーの家」トリクリニウムに置かれたオケアノスとテテュスのモザイクでは、オケアノスが右手に舵を持つ。Wages, op. cit., p. 120, pl. 2;Campbell, Sheila D., The Mosaics of Antioch, Tronto,c1988, pp. 60-61, pl. 179.舵は豊穣の象徴でもあり、また指導や統治を意味する。イシスやテュケ、アフロディテ、運命の女神フォルトゥーナの持ち物でもある。NelsonGlueck, Deities and Dolphins: The Story of the Nabataeans,London, 1965, p. 336.(17) Lux, op. cit., p. 119.この作例は、狩猟を主題としたモザイク中央のメダイヨンに正面観の女性の胸像が表され、そこにメガロプシュキア(ΜΕΓΑΛΟΨΥΧΙΑ)の銘が添えられたものである。メガロプシュキアは左手に花籠を持ち、掲げた右手に花を載せている。このポーズに関し、ダウニーは花を投げようとする仕草と考えた。Downey,Glanville,“Personifications of Abstract Ideas in theAntioch Mosaics,”Transactions and Proceedings of theAmerican Philological Association, 69 (1938), pp. 357-358,n. 19.(18)この女性像はインドの擬人像と考えられた。その理由は頭につけた2本の角のような飾りと、バルベリーニ象牙板(500年頃、ルーヴル美術館)の最下段に刻まれたインドの使者のそれとが似ているためである。Rice, DavidTalbot, The Art of Byzantium, London, c1959, p. 22, p. 297,165