ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

影の下の家―夏目漱石『門』と意識の流れ―れは波の形になり、頂点は意識の焦点Fであり、このFの前後を漱石は「識末」と呼び、これはfのことである。Fは意識の一番はっきりした部分になり、fはその焦点に付着する感情を表す。あるいは、Fはデノテーションや意味を表すのに対して、fはコノテーション、暗示的な意味合いを表す(14)。ここで指摘しなければならないのは、この図は意識の一瞬だけを表しているということである。本当の意識を表すためには、これが複数の波の重なりでなければなりない。つまり、意識は一瞬のものではなく、一つの流れとして理解しなければならない。小森陽一の言葉を借りるなら、『文学論』が描く意識は「運動化・プロセス化」されたものである(15)。時間的に見れば、Fは意識の今、現時点を表すのに対して、fは意識の消えつつある過去と出現しつつある未来に当たる。ある瞬間のFは次の瞬間に右側のfの位置に下がり、そしてその変わりに前の瞬間の左側のfが頂点に上がり、新しいFになる。漱石によると、私たちの意識の内容がFだけを含む場合、それは科学的内容に属する。文学的内容になるために、Fとともにfも、つまり感情も必要である。言い換えれば、漱石が文学の本質を科学的に定義しようとするとき、文学の本質を確保するのはfである。文学を科学から区別させる可能性もこのfによるものである。人間の認知過程にはFもfも存在し、認知的な要素と感情的な要素が両方存在するが、文学だけがその両方を内包することができると漱石は考えた。文学の価値はここから生まれる。『文学論』でこの意識の過程を説明するために、漱石はある人間がロンドンのセント・ポール大聖堂を観察するときの経験を例として描いている。「例へば人あり、St. Paul’sの如き大伽藍の前に立ち其宏壮なる建築を仰ぎ見て、先づ下部の柱より漸次上部の欄間に目を移し、遂に其最高の半球塔の尖端に至ると仮定せんに、始め柱のみ見つむる間は判然知覚し得るもの只だ其柱部にかぎられ、他は単に漠然と視界に入るに過ぎず、而して目を柱より欄間に移す瞬間には柱の知覚薄らぎ初めて、同時に欄間の知覚これより次第に明瞭に進むを見るべし、欄間より半球塔に至る間の現象も亦同じ。読みなれたる詩句を誦し、聞きなれたる音楽を耳にする時亦斯の如きものあり。即ち或る意識状態の連続内容をとり其一刻を(プツリ)と切断して之を観察する時は其前端に近き心理状態次第に薄らぎ初め、後端に接する部は、これと反対に漸次其明瞭の度を加ふるものなるを知る。こは只だ吾人日常経験上しか感ずるに止まらず既に正確なる科学的実験の保証を経たるものとす」(第一編・第一章)これはセント・ポール大聖堂そのものの描写ではなくて、セント・ポール大聖堂を見ている人の意識の流れの描写である。外界と内面が一つの流れに繋がっている回路である。外界にある対象から視覚的な刺激が神経を通して、人の脳で認知され、そしてその脳や神経が反応を起こして、その反応によって観察する人の身体が動き出す。内面と外界が一つの刺激と情報の流れで持続的に連接されている。『門』における意識の描写『門』にもこの『文学論』のセント・ポール大聖堂の場面と同じように、意識の流れの細かい描写が頻繁に現れる。ある人物が外の世界を観察するとき、その人の意識の中に外界の刺激が神経を通して流れてきて、その人物の意識に(F+f)の波が形成される。そしてその意識の流れが進むことによって、焦点Fのイメージが下がってゆき、同時に意識の周辺からfが浮き上がり、新しいFになる。人物が観察している外界とそれを意識する内面が一つの流れになっていることがよくこの小説に表現されている。例えば、第二章に主人公の宗助がある日曜日の午後、刺激を受けるために東京の街を歩いている場面がそうである。『漱石全集』で六頁も続くこの場面に物語りの展開に関わる出来事は何も起こらない。ここでは漱石の関心はただこの人物が東京の街を歩いているときの意識の流れの上がり下がりの過程を描くということにある。そして、この場面にも「影」が現れる。宗助はしばらく歩いたり電車に乗ったりした揚句、空を見てそこに「暗い影」(二の三)を見る。それで家へ帰ることを決心し、この散歩とこの意識の流れの描写が終わる。また第五章で宗助が歯医者に行く場面に同じような意識の流れの細かい描写がある。応接間で待って15