ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALいる間、宗助は『成功』という雑誌を拾い、その中の漢詩の言葉が無限のループのように彼の頭の中で繰り返される。それから歯医者が診断をはじめ、宗助の歯から「糸程な筋を引き出して」(五の三)、宗助に彼の神経そのものを見せる。宗助の精神状態は小説のなかで「神経衰弱」と呼ばれているが、この場面はその病の生理的な原因が彼の目の前に突きつけられ、さらに彼の意識を促す刺激になる。これらの場面で意識は持続的に動く流れとして描かれている。流れなくなれば、意識も不健康な状態に陥る。漱石にとってこの流れる状態は意識だけではなく、文学にも不可欠である。例えば、『文学論』で漱石は集合的な文学の趣味ということについて説明している。「(集合的Fの:引用者)特色の存在は明らかなると共に、特色の推移も亦事実として争ふべからず。推移の源因は個人意識の一部分と、個人意識の全部と、集合意識とを通じて頗る簡明なり。主観的の俗語を用ゐて、之を断ずれば遂に倦厭の二字なる平凡の解釈を得るに過ぎず。MarshallはPain, Pleasure, and Asthetics中に快感と苦感との区別は時間に関係あるを詳論せり。時間に関係ありとは、この両感の必ずしも性に於て異なるにあらずして、一を抱持して一定の時間を経過すれば自から他に変化するとの謂なり。此点より見たる快感と苦感とは始めより異なる客観性を具せず、只之を感受する吾人の組織によりて、ある快感を延長して、適宜の期を超ゆる事あれば、先の所謂快感は次第に苦感に陥るに過ぎず。」(第五編・第三章)ある一つのFが長く意識の焦点の位置を占めると、だんだん苦しくなると論じており、意識の流れがうまく流れなくなると、退屈やストレスが生じるというわけである。『門』でも同じような状態に出会う。社交や日常生活は上手くいく時はよく流れるが、その流れが止まるとストレスや不安が生じる。例えば第十四章で、まだ御米に出会っていない若い時の宗助のことが回想シーンで描かれている。とても賑やかな社交的な少年だったようで、ここでは彼の意識が元気に流れていたことがはっきり描かれている。「其時分の宗助の眼は、常に新らしい世界にばかり注がれていた。だから自然が一通四季の色を見せてしまったあとでは、再び去年の記憶を呼び戻すために、花や紅葉を迎える必要がなくなった。強く烈しい命に生きたと云う証券を飽迄握りたかった彼には、活きた現在と、是から生れようとする未来が、当面の問題であったけれども、消えかかる過去は、夢同様に価の乏しい幻影に過ぎなかった。」(十四の三)ちなみに、この文章にも「幻影」という言葉にまた「影」が出ている。その後、宗助は御米に出会い、彼らの友人の安井を裏切って彼女を奪い、結婚する。この罪のため宗助と御米は世の中に捨てられる結果になる。集合的な社交の流れから追い出されると、二人の意識の流れも変質する。彼らの意識が滞ってしまい、「変化のない」「刺激に乏しい」「鈍い」状態に陥る。「自然の勢として、彼等の生活は単調に流れない訳に行かなかった。彼等は複雑な社会の煩を避け得たと共に、其社会の活動から出る様々の経験に直接触れる機会を、自分と塞いで仕舞って、都会に住みながら、都会に住む文明人の特権を棄てた様な結果に到着した。彼等も自分達の日常に変化のない事は折々自覚した。御互が御互に飽きるの、物足りなくなるのという心は微塵も起らなかったけれども、御互の頭に受け入れる生活の内容には、刺戟に乏しい或物が潜んでいる様な鈍い訴があった。(中略)外に向って生長する余地を見出し得なかった二人は、内に向って深く延び始めたのである。」(十四の一)結局、宗助の問題は意識の流れが泥沼化したことである。御米と結婚してから、社交関係にも自分の意識にもfからFへの自然の流れが塞がれてきたのである。過去からの影、友人を裏切って御米と結婚したことが意識の焦点Fに固まってしまって、その位置から次に出てくるはずfに譲らなくなってしまった。そのため、退屈やストレスを感じるようになり、快感が苦しみに変質する。小説の中で、宗助は借りている家の貸主酒井と付き合い始める。崖の上の家に住む彼と出会ってから、宗助の意識は一時的にまた流れ出し、一時過去16