ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

「無原罪の宿り」の視覚化―図像と神学の関係と機能をめぐって―Aachen, Tokyo, 1994, p.201.田辺幹之助訳。(6)ホイジンガ、前掲書、73頁。(7)上掲書、79頁。(8)上掲書、76-77頁。(9)フランセス・A・イエイツ『記憶術』、玉泉八州男監訳、水声社、1993年、22頁。そもそもイメージの使用については、既に、キケロが『弁論について』第2巻86章で述べているように古典的記憶法の中に見られる。古代ロー(図3)ヴィンツェンツォ・フレディアーニ≪火の試練を通じて「無原罪の宿り」を擁護するフランシスコ会士≫ヴァティカン、絵画館図版出典Lightbown, R., Carlo Crivelli, New Haven, 2004.(図1)Symeonides,S.,“An Alterpiece by‘The LuccheseMaster of the Immaculate Conception’”,Marsyas, 8 (1957-59).(図2、3)注(1)「無原罪の宿り」は、1854年12月8日の大勅書「Ineffabilis Deus」において、教皇ピウス9世(在位1846-1878)により正式な教義として宣言された。しかし、あくまでもカトリック教会に限定された教えであり、プロテスタント教会においては一般に否定されている。また、東方諸教会は、マリアが終生処女であったということについては認めているが、カトリック教会の定めた「無原罪の宿り」は認めていない。(2)本稿において、一義的図像とは、他主題を援用することなく「無原罪の宿り」という教義自体を表現した図像を意味する。「無原罪の宿り」定義については、阿部善彦氏との共著である「スコトゥス『命題集注解』解説」、『ロザリウム・ミュスティクム』1 (2013)、98-113頁参照。(3)ジャン=クロード・シュミット『中世の身ぶり』、松村剛訳、みすず書房、1996年、312頁。(4)ホイジンガ『中世の秋』II、堀越孝一訳、中央公論新社、2001年、71頁。(5) Auf welche Weise es dieser Welt innewohnt, gibt dasgolden Tor zu erkennen: Der dumpfe Geist erhebt sich zurWahrheit durch das, was materiel list, Und erhebt sich, indemer dieses Licht sieht, aus seinem fruheren Untergetauchtsein.Cf. Ulrich Schneider,“Zeiten und Bilder”, HEILIGE UNDMENSCHEN Suermondt-Ludwig-Museum, Museen der Stadtマの雄弁術において選ばれたイメージを、ドミニコ会のアルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus, c.1193-1280)とトマスは、宗教の枠組みの中で教化的、敬虔的意図につくりかえ、実体的イメージへと変えていった。(10)上掲書、108頁。トマスは『神学大全』第1巻第1部第1問第9項において言及している。(11)細田あや子、「宗教における表象と造形―その教育的機能をめぐって―」、『宗教研究』85-4 (2012)、331頁。(12)ホイジンガ、前掲書、84頁。(13)上掲書、204頁。(14)「聖化」とは、マリアの懐胎に関して使われた、恩寵による原罪からの清めを意味することばであり、ヘールズのアレクサンデルにより、エレミヤ書から引用して用いられたのが最初であるとされている。Cf. Wolter , AllanB., John Duns Scotus, Four Questions on Mary, New York,2000, pp.56-57.(15)例えば、ピサのフランシスコ会修道院では、1263年に「無原罪の宿り」の祝日を認めていた。また、現在ピサの市立美術館にあるRanieri di Ugolinoの「無原罪の宿り」の板絵が描かれたのは1280年から1290年である。この図像では、母アンナが幼子マリアを抱き、玉座に座している。Mirella Levi D'Ancona, The Iconography of theImmaculate Conception in the Middle Ages and EarlyRenaissance, NewYork, 1957, pp.39-44.(16)拙稿「スコトゥスのマリア論―至福なる処女は原罪のうちに懐胎したのか―」、『哲学世界別冊』、4 (2012) 33-46頁参照。(17)スコトゥスはキリストの位格的結合について予定説ということばを使って説明している(Ordinatio, III, d.7,q.3)。スコトゥスの考え方の基本は、同じことをマリアにも帰せしめるというものである。従ってマリアについても同じことばを使って説明する。Wolter, Allan B., I. O’Neil, Blane, John Duns Scotus : Mary's Architect, Illinois,1993, pp.51-77.(18) 1546年6月17日、トリエント公会議第5総会、「原罪についての教令」。179