ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
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RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌
WASEDA RILAS JOURNAL(19)Cf. D'Ancona, op.cit., p.41.(20)Cf. Ettlinger H.S.,“The Iconography of the Columns inTitian's Pesaro Altarpiede”, The Art Bulletin, 61-1 (1979),pp.59-67.(21)『新カトリック大事典』III、研究社、2002年、338頁。(22)Cf. D'Ancona, op.cit., p.20.(23)Cf. Ettlinger, op.cit., p.61.(24)原初の正義とは神の恩寵を意味するものであり、原罪を取り除く唯一ものは神の恩寵であると考えられた。原罪と恩寵の関係については、拙稿「Thomas Aquinasのマリア論―マリアの「無原罪の宿り」についての考察と基本原則―」、『哲学世界別冊』、3 (2011)、119-129頁参照。(25)Liber de Originali Virginis Innocentiaの中で述べられている。ローナ・ゴッフェン『ヴェネツィアのパトロネージ―ベッリーニ、ティツィアーノの絵画とフランチェスコ修道会』、石井元章監訳、木村太郎訳、三元社、2009年、117頁。(26)Cf. Ettlinger, op.cit., p.62.(27)Ibid., p.62.学者でもあったシクストゥス4世の蔵書には、スコトゥスに加えてトーメの著作やジョン・セゴヴィアが活躍したバーゼル公会議の教令を扱った本が少なくとも5冊残されている。(28)齋藤泰弘、「「岩窟の聖母」の図像の神学的解説序説―ロンドンの聖母は無原罪の宿りを表現しているのか否かをめぐって―」、『イタリア学会誌』45(1995), 25-52, 215-216頁。(29)Cf. D'Ancona, op.cit., p.12.祝日は、イングランドには11世紀頃、ベネディクト会の修道士によりナポリから伝えられたが、1066年のノルマン侵攻の際、征服王ウィリアムにより異教の習慣であるとして廃止された。(30)20世紀になりイエズス会のサーストン(H.Thurston)、スレイター(T.Slater)の研究によりエアドメルスの著作であることが確定された。矢内義顕訳『中世思想原典集成10修道院神学』、上智大学中世思想研究所編、平凡社、1997年、70-73頁所収。(31)Cf. D'Ancona, op.cit., p.41.(32)Ibid., p.32.(33)Cf. Lightbown, R., Carlo Crivelli, New Haven, 2004,p.494 ; Ettlinger, op.cit., p.60 ;齋藤、前掲論文。(34)Cf. D'Ancona, op.cit., pp.39-41.(35)Cf. Zampetti, P., Pittura nelle Marche, 4vols, Pesaro,1988-92., p.298.(36)Cf. Lightbown, op.cit., p.494.マッテオ・ダ・グイド(Matteo da Guido)等に作例が見られる。(37)そもそもペルゴラは、シクストゥス4世の実家であるデッラ・ローヴェレ家と深い関係がある。ペルゴラは、1463年以降デッラ・ローヴェレ家の管轄下となった。ペルゴラを支配していたウルビーノ公は、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの後、息子グイドバルド・ダ・モンテフェルトロが継いだが、グイドバルドに後継者がなかったため、デッラ・ローヴェレ家に嫁いだモンテフェルトロの娘の子であるフランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレに引き継がれた。(38) Cf. Zampetti, op.cit., p.298.(39) Cf. Lightborn, op.cit., p.56 ; Cimarelli.V.M., Istorie dellostato d’Vrbino da’Senoni detta Vmbria, Senonia, Brescia,1642.(40)斎藤、前掲論文。(41) Cf. Tazartes Maurizia,“Nouvelles perspectives sur lapeinture lucquoise du Quattrocento”, Revue de l'Art, 75(1987), p.36.(42)王国中全ての民族に知られていることですが、王宮の奥におられる王様にお召しもないのに近づくものは、男であれ女であれ命はないのです。ただし、王様が金の笏を差し伸べられた者に限り、死を免れるのです。(新共同訳)(43) Cf. D'Ancona, op.cit., p.30.(44) Ibid., p.28.(45) Ibid., p.31.(46) Cf. Symeonides, S.,“An Alterpiece by‘The LuccheseMaster of the Immaculate Conception’”, Marsyas, 8 (1957-59), p.59.(47)齋藤、前掲論文。(48)ルッカのサン・フレディアーノ聖堂に制作され、現存する。制作年は1511年と考えられている。(49) Cf. D'Ancona, op.cit., p.19 ; Schiller, G., Ikonographieder christlichen Kunst, Band 4,2, Gutersloh, 1980, pp.171-174.(50)スコトゥスの立論に関しては、拙稿「無原罪の宿りの神学的解釈序説―ドゥンス・スコトゥスの立論について」、『WASEDA RILAS JOURNAL』2 (2014)、119-125頁参照。(51) non puto esse verum amatorem Virginis qui celebrarerespuit festum sue conceptionis.(52) Cur Deus HomoおよびDe Conceptu Virginali et deOriginali Peccatoにおいて述べている。(53)現在、ローマ、ヴァティカン絵画館に所蔵されている。(54)ヘーゲル『歴史哲学講義』(下)、長谷川宏訳、岩波書店、2010年、259頁。180