ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNAL挿絵における古典様式として考察を進める。バーイスングル写本を古典様式とする理由は、グルーベが述べるように、後のイスラーム世界の写本挿絵における模範となったこと(6)、さらに、レンツ、スィムス、ヒレンブラントの先行研究(7)で明らかなように、バーイスングルの写本そのものが、先代の写本の綿密な校訂作業の上に制作されており(8)、規範とするに値するからである。15世紀のバーイスングル写本がペルシアの写本挿絵における古典様式と定義した上で、古典様式とされる描き方について考察していきたい。ティムール朝に先行するイル・ハーン朝(1258-1353年)、ジャラーイル朝(1336-1432年)の写本挿絵は、元来中国宋元画の影響が指摘されてきた(9)。しかし、それらの先行文献は、霊芝雲や土坡などの個々のモチーフが中国美術から発想を得ていることに言及するものがほとんどで、その後どのようにペルシアの写本挿絵に取り入れられていったのか、その過程に焦点を当てたものはほとんどないという印象を受ける(10)。そこで、本稿では、中国由来と指摘されてきた岩山の表現を取り上げ、ペルシアの写本挿絵の古典様式に至る中国絵画の影響を考察する。さらに、岩山に隠し絵のように描かれる顔面石のモチーフに注目し、岩肌の表現を検討する。顔面石はペルシアの写本挿絵における山岳描写の特徴の一つで、重なり合った色彩豊かな岩山の中に、人物や動物が隠し絵のように描かれている【図1-1】【図1-2】【図2-1】【図2-2】。従来、顔面石はイスラームの教えに反する上(11)、不可解なモチーフであるために、頻繁に描かれているにも拘わらず本格的に扱われることが少なかった(12)。しかし、現存最古のペルシアの写本挿絵が残されたイル・ハーン朝期の作例から、ジャラーイル朝、ティムール朝と順に岩山の描写の変遷に注目すると、中国由来のモチーフがペルシア化していったことが伺える。本稿では、イル・ハーン朝とジャラーイル朝期の2つの時期に分けて岩山の描き方を検討する。イル・ハーン朝期には、主に、背景に聳え立つ中国由来の山岳描写が流入した。続くジャラーイル朝期には、岩肌の描写が精緻になり、複雑な凹凸を含む多孔質の岩山の描写がなされるようになる。作例によってはそのような山の岩肌に顔面石が見られるようになる。岩山の描写の検討を通じ、古典様式における中国絵画の影響を考察する契機としたい。1.イル・ハーン朝期イル・ハーン朝期における中国美術の影響は、雲や岩、木々など風景描写のモチーフの採用、人物像と背景の一体感や奥行きの自然な描写に見られる。ここではイル・ハーン朝期の作例における山岳表現の採用を、首都と地方都市に分けて取り上げる。イル・ハーン朝の写本挿絵は首都タブリーズ周辺とシーラーズやイスファハーンなどの地方都市で中国風の度合いが異なっている。イル・ハーン朝期における中国美術の影響は門井の先行研究(13)に詳しい。門井によると、東西交渉の要衝であった首都タブリーズは、中国の影響が色濃く見られるのに対し、地方都市は首都との交流を通じて間接的に中国の影響を受けている(14)。本節では、タブリーズ様式の代表作例ジュワイニー著『世界征服者の歴史』(15)、イブン・バフティーシュー著『動物の効用(Man?fi’al-?ayaw?n)』(16)、ビールーニー著『古代民族年代記(?th?r al-B?q?ya)』(17)、ラシード・アッディーン著『集史』(18)と、地方都市の代表作例を取り上げ、中国美術を取り入れてゆく過程を概観する。初期のペルシアの写本挿絵は、中国の絵画ではなく装飾美術に造詣が深かったと見られ、『世界征服者の歴史』【図3】に描かれた鳥と雲のモチーフは、織物の文様から採用されている(19)。この頃に描かれた写本挿絵における風景描写のモチーフは、人物像や動物像、背景などが協調性を欠いており、背景に岩山を用いるという、後のペルシアの写本挿絵によく見られる描写も表れていない。中国風の度合いが進行する様子は、『動物の効用』、カズウィーニー著『被造物の驚異と万物の珍奇(‘Aj?’ib al-Makhl?q?t wa Ghar?’ib al-Mawj?d?t)』(20)、『古代民族年代記』に顕著に表れている。例えば、「雌雄の馬」【図4】に見られる、上端が切れた木の配置、前後関係を示す木の根元、黒い馬の頭部を描くことで右から左に進行する巻子本のような連続性の効果をもたらす点は、趙孟?の「川を渡る馬と馬丁」(元、フリーア美術館、F1931. 3)との類似性がある(21)。肥痩を生かした線、木の節目や裂け目までなめらかな線で描いた柳の木、遠近感が出された芝も、イル・ハーン朝以前に描かれたメソポタミア様式のアラブ写本『マカーマート』【図5】に見られる太く均一な線、節状の木、渦巻き状また184