ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

ペルシアの写本挿絵における中国由来の岩山表現ウイグルやソグドの影響が指摘されている。円錐形の山が中央アジア由来であることは、Sims (2002), p. 68;Kadoi (2009), pp. 206-207. 13世紀のモンゴル到来以前の東方美術の影響に関しては、Esin (1963); Grube (1968).(26) O’Kane (1991), p. 221.オケインによると、顔面石が描かれた最も早い例が、『カリーラとディムナ』(1370-74年、制作地タブリーズ〈イラン〉、イスタンブール大学図書館、F. 1422)【図12】(fol. 25b)である。制作年が明記されている作例は、『シャー・ナーメ』(1371年、制作地シーラーズ〈イラン〉、トプカプ宮殿図書館、H. 1511,fol. 211v.)(27)サファヴィー朝の宮廷図書館ドゥースト・ムハンマドが記した画家列伝によると、14世紀の挿絵画家アフマド・ムーサーは「顔の描写においてヴェールを外し、現在流行しているタイプの絵画を生み出した」とあり、ペルシアの写本挿絵における源流と捉えられている。アフマド・ムーサーの署名入りの作例は残されていないが、ドゥースト・ムハンマドは『チンギス・ナーメ』、『アブー・サイード・ナーメ』、『カリーラとディムナ』、『昇天の書』を彼の作に帰属している。このうち、例えば『カリーラとディムナ』はイスタンブール大学図書館所蔵の『カリーラとディムナ』(1370-74年、制作地タブリーズ〈イラン〉、イスタンブール大学図書館、F. 1422)【図12】(fol. 25b)と現在考えられている。この【図12】は顔面石が描かれた最も早い作例とされている。ペルシアの写本挿絵の始まりが後世の図書館員によって、だいたいイル・ハーン朝末期からジャラーイル朝初期と捉えられていることからも、この時期に挿絵に対する価値観が変化したと考えられる。詳しくはEIr:“Ah?mad M?s?.”(28)ペルシアの写本挿絵における岩山の表現が中国由来であることは、Schroeder (1939), p.127; Brend (1980), p.112-113.風景描写が中国由来であることは、Sims (1974),pp. 56-67; Souchek (1980), pp. 86-96; Kadoi (2009), pp.123-238.(29) Schroeder (1939), p. 127.(30) Brend (1980), p. 113;バルトルシャイティス(1985), p.224; O’Kane (1991), p. 221.(31) Ergin (2013)は、顔面石が描かれた「ラクシュとライオンの戦い」(16世紀初頭、制作地タブリーズ〈イラン〉、大英図書館、1948. 12. 11. 023)や「ガユーマルスの宮廷」(16世紀初頭、制作地タブリーズ〈イラン〉、アーガー・ハーン美術館〈トロント〉、AKM. 00165)と、20世紀のサイケデリック・アートを比較し、ペルシアの挿絵に描かれた顔面石と幻覚症状の関連性に言及している。しかし、Erginが比較対象に取り上げているのは、ティムール朝やサファヴィー朝の宮廷様式の挿絵であり、ジャラーイル朝やイスカンダール・スルタンの挿絵に描かれた顔面石は例には挙げているものの、サイケデリック・アートとの関わりは直接述べられていない。ジャラーイル朝の写本挿絵は、色使いが地味で、顔面石の数も少ないため、Erginが主張するサイケデリック・アートとの共通点はあまり見られない。顔面石のモチーフは、ブレンド、バルトルシャイティス、オケインらの指摘するように中国の影響で発達したと考えられる。(32)バルトルシャイティス(1985), p. 230.(33) O’Kane (1991), p. 221.(34)バルトルシャイティス(1985), p. 224.(35)『ルバイヤート』(岩波書店、1949年)の訳者小川の解説には、「(前略)そのことはハイヤームがペルシア的な転生思想を借りてきて、これを彼一流の物質不滅説と織りなし、葡萄酒を湛えた酒壺を血潮のたぎる人間の姿になぞらえて、美しい数連のルバイヤートを歌い出しているのでもわかろう(p. 150)」とあり、イスラーム以前から継承される民族的感情が『ルバイヤート』の随所に見いだせると述べられている。(36) Brend (1980), note 23.(37)ヤマンラール(2000), p. 75.(38) O’Kane (1991), p. 221.(39)衛賢「高士図」、五代、故宮博物院、日本放送協会編『故宮博物院第1巻』日本放送出版協会、1997年、p. 27、図9.文献略号表欧文文献Blair (1995): Blair, Shelia, A Compendium of Chronicles:Rashid al-Din’s Illustrated History of the World, London,1995.Bloom & Blair (2009): Bloom, Jonathan. & Blair, Sheila(eds.), The Grove Encyclopedia of Islamic Art and Architecture,Oxford/ New York, 2009.Brend (1980): Brend, Barbara,“Rocks in Persian MiniaturePainting,”in Watson, William (ed.), Landscape Style inAsia, (Percival David Foundation of Chinese Art, Colloquieson Art and Archaeology in Asia, No.9), London,1980, pp. 111-37.Brend (2010): Brend, Barbara, Muhammad Juki’s Shahnamahof Firdausi, London, 2010.Canby (2014): Canby, Sheila, The Shahnama of Shah Tah-189