ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALなイメージ群を描いたことによって知られる画家ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)は、1919年のテクスト「形而上芸術について」の中でヴェルヌに触れている。幸福だが自覚されない形而上的な瞬間は、画家と同様に作家にも観察することができる。そして作家に関して、ここではフランスのとある田舎老人に言及したい。はっきり言うが、この老人はこう呼ばれるだろう、スリッパを履いた探検家と。つまり正確にはジュール・ヴェルヌについて述べたいのである。彼は旅や冒険の小説を書いて子・供・向・き・の・[ad usum puerum]作家として通っている。だが誰が彼よりも巧みにロンドンのような都市の形而上学を、その家々の中に、その通り、そのクラブ、その広場、その四角形の中に、言い当てることができただろうか。ロンドンの日曜日の午後のスペクトル的性質[la spettralita]、『八十日間世界一周』に登場するフィリアス・フォッグのような、歩き回る本物の幽霊[fantasma]である一人の人間の憂愁[malinconia]。ジュール・ヴェルヌの作品はこうした幸福で心慰められる瞬間に満ちている。小説『浮かぶ都市』(2)のリヴァプールから汽船が出発する描写を私は今でもおぼえている(3)。デ・キリコがヴェルヌに言及したのは何故か。本論では『八十日間世界一周』を焦点として、その理由の一端について考察を行う(4)。まず『八十日間世界一周』に付された挿絵を検討する。次にこの小説を、デ・キリコが形而上絵画の理論的根拠としたアルトゥール・ショーペンハウアー(1788-1860)とフリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)の思想の寓話として捉えることを試みる(5)。1.挿絵ジャン・クレールやアラ・H・マージャンは、ヴェルヌの小説の表紙や挿絵がデ・キリコのイメージ・ソースの一つとなっていることを示唆している(6)。特にマージャンが挙げている1892年から1905年にかけて刊行された版に付された表紙[図1]は、《出発の憂愁》(1916)[図2]に代表されるような複雑な木組み構造と地図とが組み合わさったイメージの出自となった可能性が高い。とはいえマージャンらはヴェルヌ作品の全てを検討しているわけではない。まず『八十日間世界一周』の挿絵について述べておく。『八十日間世界一周』に付された挿絵の中で、特にデ・キリコの形而上絵画との関連を指摘できるのは汽車のイメージである(7)。勿論、デ・キリコが描く汽車には、鉄道技師であった父のイメージや、デ・キリコ自身の旅の記憶が反映されているとみなすことができる。だがマージャンらの示唆を考慮すれば、『八十日間世界一周』の挿絵も全く無視するわけにはいかない。『八十日間世界一周』において繰り返される「出発」と「到着」あるいは「旅」は、デ・キリコの主要なテーマの一つである。このことは「到着と午後の謎」「到着」「出発の不安」「不安な旅」「詩人の出発」「詩人の帰還」「帰還の歓び」「終わりなき旅」「出発の憂愁」といったデ・キリコ作品のタイトルに示されている。そして、この「出発」「到着」「旅」というテーマを端的に示すイメージの一つが汽車である。ギリシア生まれのイタリア人デ・キリコは、ミュンヘンのアカデミーで学び、イタリアで後に形而上絵画と呼ばれることになるイメージの啓示を得た後、パリで画家としての活動を本格的にはじめた。大戦が勃発すると応召してイタリアに移り、フェラーラに配属されている。大戦後はローマで古典絵画の啓示を受け、1919年に「技法への回帰」を唱えて作風を一変させた。一方、ヴェルヌ作品は各国語に翻訳され、版も複数ある。こうした理由でデ・キリコがどの時点に何語で、どの版で『八十日間世界一周』を読んだのかを特定することは難しい。勿論、少年時代にイタリア語で読んでいる可能性が高いが(8)、ここではデ・キリコ作品に汽車が登場するのがパリ時代(1911-1915)であることを考慮して、フランス語の原著を参照することとする。アルフォンス・ド・ヌーヴィル(Alphonse de Neuville1836-1885)とレオン・ブネット(Leon Benett1839-1917)による挿絵は、中表紙と扉絵を含めて56図あり(9)、加えて主人公たちの道程を示す世界地図が本の最後に付されている。汽車の外観を描いた挿絵は6図ある。インドを横断する場面の「蒸気は螺旋形を描き出していた」(10)、アメリカを横断する場面の「1万頭から1万202