ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

形而上学的室内の円環――ジョルジョ・デ・キリコと『八十日間世界一周』――2000頭もの動物たちの群れが線路を塞いでしまった」(11)、「見事な湖!」(12)、「完全に壊れた橋は、大音響とともに崩れ落ちていった」(13)、「スー族は客車の中にも攻め込んでいった」(14)、「黄褐色の明かりを先頭につけた巨大な影が…」(15)である。さらに中表紙にも汽車が描き込まれている。デ・キリコ作品では、1912年の《詩人の悦び》《無限の倦怠》《不安な朝》《到着》、1913年の《奇妙な時刻の歓びと謎》《占い師の報酬》《アリアドネのある広場》《アリアドネの午後》《不安な旅》《驚き》《午後の憂愁》《変形された夢》《詩人の不安》《出発の不安》、1914年の《哲学者の征服》《モンパルナス駅》《日中の謎I》《日中の謎II》《詩人の出発》《詩人の帰還》《帰還の歓び》《学者の平静》《愛の歌》といった多数の作品、またこれらに関連する習作に汽車が描かれている。たとえば『八十日間世界一周』の中表紙[図3a,b]や「蒸気は螺旋形を描き出していた」[図4]に描かれた汽車を、《詩人の悦び》[図5a, b]に描き込まれた汽車と比較することができる。これらは遠景で煙を上げながら走っている点で類似する。またデ・キリコの1913年の習作[図6]では、汽車が前方から描かれている。類似したイメージは「1万頭から1万2000頭もの動物たちの群れが線路を塞いでしまった」[図7]に見出すことができる。2.室内の旅次に『八十日間世界一周』を、デ・キリコが形而上絵画の理論的根拠としたショーパンハウアーとニーチェの思想の寓話として捉えてみたい。デ・キリコはパリ時代の手稿において、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』を、カルロ・コッローディの『ピノッキオの冒険』と結びつけている(16)。同様のことが『八十日間世界一周』にも言えるのではないか。まずショーペンハウアーの思想について検討する。ここで注目したいのは、人間の認識する世界が全て脳内の「表象としての世界」に過ぎないというショーペンハウアーのカント的世界観である(17)。カントに倣い、ショーペンハウアーは世界を物自体とその現象に分け、それぞれ「意志」、「表象」として規定する。世界は時間、空間、因果性などの「充足根拠律」の諸形式によって、人間の脳に表象される。そしてこの「表象としての世界」を取り去った場合、物自体として残存するのが「意志」である。ショーペンハウアーの思想をデ・キリコが参照していたことは既にパリ時代の手稿からもうかがえるが、ショーペンハウアーの「表象としての世界」という世界観をかなり直接的に反映しているのは、大戦勃発後に配属されたフェラーラで描かれた、いわゆる「形而上学的室内」のイメージである。パリ時代のいわゆる「イタリア広場」のイメージでは、人気の無い広場と建築物がまるで劇場の舞台装置のように描かれており、そこでは広場という外部と、劇場という内部とが曖昧に重なりあっているが、「形而上学的室内」は外部と内部の一致という点で、こうした「イタリア広場」のイメージの発展形とみなすことができる。1917年の《形而上学的室内(小さな工場のある)》[図8]では、製図用具のような複雑な木組み構造と、工場のある風景が描き込まれた画中画とが部屋の中に配置されており、上記の内部(室内)と外部(風景を描いた画中画)の一致あるいは内部による外部の包含という性質がより直接的に提示されている。これをショーペンハウアーの世界観になぞらえるならば、脳=室内の中に画中画=表象が置かれていると捉えることができる。そして、人間の認識する世界が全て脳内の表象に過ぎないことを知ることから、その向こう側にある物自体についての学としての形而上学がはじまる。この部屋が「形而上学的室内」と呼ばれる理由をこのように解釈することができる。ショーペンハウアー思想における人間の脳は、デ・キリコでは室内に置き換えられる。そして繰り返すが、人間の認識する世界は全て脳内の表象に過ぎない。つまり人間は何処に行こうと常に自らの脳という室内にいるのであり、そこから出ることはできない。逆に言えば、世界は脳という室内にある。フォッグ氏に旅の経験があるというのは大いにありうることだった。彼ほど見事に、世界地図を自家薬籠中のものとしている人間は他にはいなかったからである。[……]この人物はどうやら、世界中を旅したことがあるらしかった。少なくともその頭の中では[en esprit, tout au moins] (18)。『八十日間世界一周』の主人公フィリアス・フォッ203