ブックタイトルRILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

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概要

RILAS 早稲田大学総合人文科学研究センター研究誌

WASEDA RILAS JOURNALグ氏の脳内=室内には詳細な世界地図がある。デ・キリコの《出発の憂愁》[図2]ではまさに室内に地図が描かれている。そして既述したように、マージャンの示唆によれば、こうしたイメージはヴェルヌ作品の表紙をイメージ・ソースの一つとしている可能性が高い。この脳内=室内の旅という観点から『八十日間世界一周』を捉えてみる。フォッグ氏とパスパルトゥーは世界を一周して元の場所に戻る。これは勿論、地球が丸いから可能になるわけだが、いわば彼らは地球という巨大な「室内」を出たわけではない。この世界を一周しながらも常に「室内」にいるというモチーフは、フォッグ氏の旅中の態度にも見出すことができる。フォッグ氏は必要な場合以外は汽車や船の外には出ず、ロンドンの「革新クラブ」で日々行っていたのと同じようにホイスト(カード・ゲームの一種)に興じる。フォッグ氏は「室内」の外に広がる「実際の」異国の事物には関心を持たない。勿論、物語の展開上、フォッグ氏も外に出て大いに活躍するのだが、彼の基本的な姿勢は「室内」に留まるというものである。町の見学など彼の眼中にはなかった。彼もまた、自分が旅している国々の探訪は使用人に任せておく、あの英国人種の一人であったのだ(19)。またフォッグ氏がロンドンのサヴィル=ロウの館を発つ際、パスパルトゥーに次のように命じていることに注目したい。むしろスリッパではないか。もっとも物語中で実際に一時スリッパを履いて旅をすることになるのは召使パスパルトゥーだが、彼がわざわざ「とてつもない金額を払って革スリッパを購入した」ことは示唆的である(21)。さらに旅の間パスパルトゥーの部屋の中で灯り続けるガス灯も、この物語の「室内」性の象徴として捉えることができる。パスパルトゥーは出発時に混乱していたため、自分の部屋のガス灯を消すことを忘れてしまった。ガス灯の料金はパスパルトゥーが支払うことになる。そしてパスパルトゥーは旅から戻るとこのガス灯を消す。つまり世界一周の旅の一方で、ガス灯は常に「室内」で灯り続けていた。中表紙に描かれた地球儀とその中心に灯るガス灯というイメージ[図9]もまた、世界=「室内」というイメージと一致する(22)。このように『八十日間世界一周』は「室内」の旅の物語として捉えることができる。一方デ・キリコは「形而上学的室内」のイメージにおいて、脳=室内の中に画中画=表象を配するという形で、ショーペンハウアーの「表象としての世界」という世界観を援用している。つまり、デ・キリコにおいて室内とは脳のメタファーであり、形而上学的室内というイメージを経由することで、室内の旅の物語としての『八十日間世界一周』は、デ・キリコにとってショーペンハウアーにおける脳内の「表象としての世界」の寓話となりうるのである。3.円環と幽霊靴はいいものを選んでおくように。もっとも歩くことは少ないか、ほとんど歩かないに等しいといってもいい(20)。このセリフは、世界一周の旅といっても、実際にはほとんど汽車や船の客室内で過ごすことになるという意味だが、ショーペンハウアー‐デ・キリコの文脈に置き換えるならば、フォッグ氏の旅は脳という「室内」の旅であり、だからこそ「ほとんど歩かないに等しい」のだと捉えることができる。「形而上芸術について」のデ・キリコの言葉を思い出せば、フォッグ氏はヴェルヌ自身がそうであるところの「スリッパを履いた探検家」なのではないか。脳という「室内」を歩くのに相応しい履物は、靴よりも次にニーチェの思想について検討する。ここで想起されるのは永遠回帰の思想である(23)。フォッグ氏はまさに『ツァラトゥストラはこう語った』の次のような一節の寓話的体現者として捉えることができる。――自分自身から逃走し、最も広大な円を描いて自分自身に追いつく魂、狂気が最も甘く誘いかける、最も知恵のある魂、――(24)フォッグ氏は、地球の円周という文字通り「最も広大な円」を描いて回帰し、賭けに勝つ。そして円環はニーチェにおいて永遠回帰の象徴であり、この円環を生きる者こそが、永遠回帰を肯定することの204